未だにインターネットが復活しない。するとブログ更新も滞る。
こうして感じるのは、ネット依存症である、ということ。
ネットがあって、生活リズムがつくられていた。
どうもネットがないと、生活リズムが崩れる。。。
いつになったら復活するのだろうか、、、
が、そのおかげで、読書は進みます。今はこれ読んでます。
さて、引き続きキャリア編。前回までの分はこちら。
高校までキャリアをどう考えたか?プチまとめ〜career08〜
日本生命を選んでよかったこと「人」「経験」〜career29〜
日本生命を選ぶまで、選んでから。プチまとめ〜career31〜
2009年3月25日付 東京への異動内示〜career37〜
留学でも海外赴任でもない海外勤務を知った日〜career49〜
さて前回は、ヤンゴン行きに向けた面接について紹介した。
求人募集を見て、思い切って応募して、面接に至った。
そして、その後「早く来て欲しい」というオファーを貰った。
そこから、自分なりに考えていたことを紹介したい。
かなり過激な表現もあるかもしれないが、ご容赦下さい。
恵まれた環境を捨てるのか?
その後、ほんの数日間は悩んでいた。。。
正直、日本生命での待遇はかなり良かった。
お金がすべてではないが、お金の面で見たら
世の中の水準のかなり上をいっていたように思う。
世の中の平均給与や平均賞与の数字が出ると
「これが、日本人の全年齢平均だと思えば、
それを25そこそこで超えるって事は、、、」
と、いった感じであった。
具体的数字を書くのは好ましくないのかもしれないが
この際、書いてしまおう。
記憶ベースだが、25歳では、600万円を超えた。
30歳手前にもなれば、年収は1,000万円近くになる。
そこからガッツリ税金が引かれるため、手取りは
もっと低くなるが、相当に年収が高かった。
ざっくり計算しても、30歳手前であれば、
月60万円近くの収入があった。
よって、独身であれば、
5,000円の晩ご飯もそこまで財布には響かない。
手取りで1ヶ月30万は超えるため、1日1万円使っても
生活はできてしまうのだ。
かなり贅沢なものである。
福利厚生もかなり恵まれていた。
代用社宅も備えられ、手術したら健保からお見舞金が出る。
あれもこれも、と本当に整っていた。
それだけに、本当にこの恵まれた環境から
飛び出してしまっていいのか?と悩んだ。
でも、悩んでいる時点で既に答えは決まっていた。
本能に従えば、飛び出したかったのだ。
でもそこを理性なのか恐怖なのか、が止めて
どうしても既得権に目がいっていただけ。
安定した生活を求めれば、辞める理由なんてない。
仕事もそこそこに充実していたし、
本当に恵まれた部署にいたから楽しかった。
しかし、同時に違和感も感じていた。
そのことについても触れておきたい。
先が見える気がする
どこか「つまらなさ」も感じていた。
それが何かというと「先が見える」感覚であった。
課長の先には、部長があり、部長の先には役員がある。
役員にでもなれれば、相当に権限が広がるため、
仕事は面白いだろうなと、思っていた。
しかし社内には人事制度がしっかりとあって、
どう頑張っても50歳近くまでは役員になれない。
どんなに優秀で社内で評価されていても
最年少で課長に上がれる年次は決まっていた。
またどれほど成果を出そうが、年収もおおよそ読める。
課長になれば◯◯万円、部長だと◯◯万円
役員になって◯◯万円 となんとなく読めた。
この予定調和な感じが面白くなく見えていた。
当然、失敗すればうまくいかないのもわかっていた。
出会う人によって、人生が変わるのも感じていた。
成功したらこっちのパターン。
失敗したらこっちのパターン。
ただ、そんな感じでザックリは想定ができ、
その事を面白くない、と自分自身は感じていた。
誰を見て働くのか?
役職が上がっても、結局は 上を見ながら仕事をする。
どうもこの感覚から抜け出せなかった。
日本の典型的なサラリーマンである。笑
課長補佐 という ポジションになったら、
下に後輩が何人かいた。
指示を出しながら仕事を進めていった。
自分の想いを伝え、カタチにしていってもらった。
そして自分でも手を動かして進めていった。
そのアウトプットを課長に報告する。
課長からのアドバイスを受けて修正する。
そして、それを持って部長に報告する。
部長からのアドバイスを受けて修正する。
そして、それを持って役員に報告する。
これがオッケーだったら、前に進む。
どの案件も決済者こそ多少は違えど、同じプロセス。
合理的ながらも、非効率的なプロセス。
東京本部で5年弱 働かせてもらったため、
なんとなくの会社内の構造も見させてもらえた。
大企業だと、なかなか出来ない貴重な経験として
社長室、会長室にも入らせてもらった経験もある。
全体の構造を見ながら、感じたのは
課長は、部長を見ながら仕事をする。
部長は、役員を見ながら仕事をする。
役員は、社長を見ながら仕事をする。
この構造であった。
役員、部長はかなり営業現場を見ていたが
その下で働く社員達はどうしても
営業現場ではなく、課長・部長を見て
仕事をしている事が多かったように感じた。
目の前の人から指示を受けるのだから
当たり前にそうなってしまうのだが、
どうも大事なものが欠落していた。
見るのはそこじゃないだろ、と。
言ってしまえば「お客様」を見えていなかった。
この事に強い違和感を感じながら働いていた。
確かに、営業現場の事も大事である。
本部が何を一生懸命考えたところで
営業現場が動かなければ、何の意味もない。
これはよくわかる。
しかし最後に立ち返るべきは「お客様」であるはず。
なのに、どうしても「お客様」というワードは
後回しになっていたように思う。
会社の経営資源をいかに使うか、といった話や
現場を盛り上げるには、という視点が多かった。
現場の先にいる「お客様」ではなく、どうしても
組織や会社が先に立っていたように思う。
そうした構造を見ていて、違和感があった。
みんな一生懸命に考えるし、よく働いていた。
しかし、どうも向いている方向が違うような
そんな違和感の中で働いていた。
色んな本で読む大企業特有のモノなのかもしれないが。。
次回に続けます。
コメントを残す