日本滞在中です、更新が遅れています。
日本では、仕事を目的にきていますが、合間で日本満喫しています。
仲間と語らい、ビジネスを考え、自分を見つめ直す機会となってます。
なんといってもできないことの多さに引きずられています。
今、自分ができることを全力でやります!さて、引き続きキャリア編。前回までの分はこちら。
高校までキャリアをどう考えたか?プチまとめ〜career08〜
日本生命を選んでよかったこと「人」「経験」〜career29〜
日本生命を選ぶまで、選んでから。プチまとめ〜career31〜
2009年3月25日付 東京への異動内示〜career37〜
留学でも海外赴任でもない海外勤務を知った日〜career49〜
前回まで、東京に赴任してからの事、鮒谷塾に参加して、という事を書いた。
次回以降はようやく「私がミャンマーを選んだ理由」に入ります。笑
ここまで長かったー。。。
というわけで、ここまでのまとめ
「悪い出来事はない」と学んだ話
とあるセミナーで勉強する中で得た考え方。
「起きた事は起きた事。」「起きた事に意味はない。」
「意味(解釈)をつけているのは自分。」
「解釈との区別が必要」「言葉が世界をつくっている。」
こうした考え方を学びました。
わかりやすく(?)いえば
世の中には「悪い出来事」は存在しません。
ある出来事が起きた。それを悪いと考えた。
これが答えなのです。そんな考えを学んだのが
ブレークスルーテクノロジーという13万超のセミナー。
その後、アドバンス、ICLPにも参加。懐かしいです。
そして未だに生き続ける考えに救われています。
(career39)
最高に恵まれた環境と仕事
東京への配属となり、住む場所・付き合う人・時間配分の
3要素が、社内・社外ともにガラリと入れ替わりました。
それまで過ごした石川県の金沢も最高でしたが、
私が東京で働いた部署は最高に恵まれた環境でした。
社内で最も恵まれた部署だったと心底感じています。
Hさんという当時の上司が私を呼んでくれて、
新しく立ち上げた「情報発信」の業務を担当させていただきました。
自身の影響の範囲と責任がいきなり全国的なものとなりました。
Hさんの考え方、仕事の進め方、周りとの関わり方はどれをとっても
勉強になり、また圧倒的に仕事のしやすい環境で働けました。
他のメンバーも、全国各地で営業管理職として突き抜けたメンバーばかり。
「現場で圧倒的な成功を収め続けた人しかいない」というような
考えられないほどに、人に恵まれた所属でした。
(career40)
仕事の中身も教材を通じて「人に伝える」仕事が中心で楽しかった。
アンテナを高く張り、販売手法、マネジメント手法、医療知識など
幅広い情報を発信するために多くを学び、落とし込むのは楽しかった。
資料に落とし込むための技術を身につけられたのもこの時期。
また、仕事を通じて「情報感性」が求められたため、鍛えられた。
情報は発信するところにやってくる。
この事を肌身を持って体感できたのもこの時期だった。
そして「人を介して」情報がやってくる、というのも常に感じていた。
こちらが情報を提供すれば、人も情報をくれる。
この繰り返しで自分の持つ情報量が増えていったように思う。
こんな最高に刺激的な仕事が経験ができた。
(career41)
情報発信のPDCAを回すため、アンケートを収集していた。
送信タイミング、文言の変更 等 工夫(遊び?)を繰り返しながら
情報を集め、このサイクルがとても楽しかったのも記憶に新しい。
(career42)
研修も企画・運営をしていた。
「参加者に何を持ち帰ってもらうか?」「研修後、どうなって欲しいか?」
そのために「どの場面で」「誰の口から」伝えるか?
なんて事も意識しながら企画していた。
「忙しい中で、研修に来てもらう。効果はあるんだろうか?」
と考えさせられる事も多く、研修の効果の見えなさに頭を悩ませた事も数知れず。
その意味でも、気軽に触れられる情報発信の大切さを常々感じていた。
(career43)
先輩からのアドバイス
東京の所属3年目の末、役職がつき、重要な案件も引き受けて
業務が逼迫していた時期があった。
どうしても仕事を避け「それも僕がやるんですか?」となっていた。
そんな時に先輩からもらったアドバイスが
「しんどい中でも一度受け入れる。それやらんと仕事なくなるで?」
この言葉で、ハッと目が覚めた。コントロール出来る範囲内の仕事をやり続けてても
自分のキャパは広がらない。キャパを広げるためにも受け入れる度胸。
これを先輩のアドバイスから教わった。
相当しんどかったが、このアドバイスは今も生きている。
しんどい時こそ受け入れる。逃げずに立ち向かい続ける。
こうして自分のキャパを広げていきたい。これは常に持ち続けたい心構えだ。
(career44)
当時の上司から「社外の人間とも付き合った方がいい」と
アドバイスを受けて、意識的に外に目を向けていた。
そんな中で飛び込んだのが「鮒谷塾」であった。
毎年のご褒美として、1年目はネクタイ、2年目に時計。
そして3、4年目は時計のローン返却を与えていた。
その流れもあり5年目には「鮒谷塾の参加」を年度末のご褒美として
自分に与えた。役職の昇格もあったので、思い切って
「3日間で30万円」という自己投資をした。
過去のフォトリーディング、ブレークスルーテクノロジーへの
自己投資の経験があったからこそできた投資だった。
(career45)
長くなってきたので、プチまとめは次回につなぎます。
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