シンガポールからヤンゴンの機内でブログの下書きを終えました、KGYです。
シンガポールでは最高の仲間と時間を共有し、刺激を受けてきました。
(こちらは、シンガポールラン時の記念写真)
前向きで意識の高いメンバーと過ごす時間は格別。
ヤンゴンから3時間のフライトで、最高の時間が過ごせて幸せを実感しています。
最高の仲間に出会えた事にも改めて感謝。
さて、引き続きキャリア編。前回までの分はこちら。
高校までキャリアをどう考えたか?プチまとめ〜career08〜
日本生命を選んでよかったこと「人」「経験」〜career29〜
日本生命を選ぶまで、選んでから。プチまとめ〜career31〜
2009年3月25日付 東京への異動内示〜career37〜
さて、前回はブレークスルーテクノロジーというセミナーで教わった考え方について
キャリアを考える際にも役に立ったので紹介した。
内容としては下記のようなもの。
「起きた事は起きた事。」「起きた事に意味はない。」「意味(解釈)をつけているのは自分」
「解釈との区別が必要」であり「言葉が世界をつくっている」といった考え方。
これは人生の様々な場面で登場して自分の思考を支えてくれている。
さて、今回は東京生活「社内」編について。
全国転勤の効用
東京へ異動となり、環境が大きく変わった。
大前研一氏の有名な言葉
時間配分を変える・住む場所を変える・付き合う人を変える
この三つの要素でしか人間は変わらない。
というものがありますが、東京への転勤は、このすべてに変化がありました。
まずは、金沢から東京へと移動し、住む場所が変わった。
物理的な住環境が変わり、部署も変わったため付き合う人も変わった。
通勤時間が7分から1時間になった事で、生活における時間配分も変わった。
これは、社内も社外も同様で、3要素ガラリと入れ替わった。
東京生活での社内外の経験があったから、人生が変わりました。
同じ会社で、同じ条件の下でありながら、まるで転職のように
まったくといっていいほど異なる環境での勤務を体験させてもらえた。
3年もすると、少しずつ仕事にも慣れが出てくるが、
転勤を通じて、強制的にその部分はリセットされた。
これまでやってきた事が一切役に立たなくなる、とか
そういうわけではないが、まったく違う事をやる事が多い。
私の場合は延長線といえば、延長線上の仕事ではあったが
やることは大きく変わった。
こうした経験ができたのは、全国転勤のある会社の魅力である。
それを嫌う人もいるが、私には魅力的であった。
「全国転勤も楽しもう」と日本生命を選んだわけだが
その効用は、結果的に、とてつもなく大きいものとなった。
なんといっても「社内で最も恵まれた部署」で長く働く事ができたから。
私を呼んでくれたHさんのおかげで。
東京の「拠点長ビジネススクール室」という部署へ。
ここの部署では奇跡的に同期が自分含めて4人おり
同期の刺激を受けながら、先輩や上司の教育を受けながら
大きく成長させてもらえた。(と、思っている。笑)
東京に赴任して3日後。
まさかの季節外れのインフルエンザにかかり、3日ほど休む。。。
周囲の人からは
「(精神的にやられたのかと)違う意味で心配した。」
と言われながら、東京生活はスタート。笑
メインミッションは、私が赴任した年にスタートした
「GMマネジメントマガジン(仮)」という営業管理職向けの情報発信業務。
いわば新たなプロジェクトの推進役を命じられたわけである。
全国の情報を欲している営業管理職の方々に対して
定期的に情報発信をする、という仕事である。
これまで自分の仕事の影響範囲は金沢支社管内までだった。
それが、いきなり影響の範囲が全国に広がる事となる。
しかも、想定読者は営業管理職。
これまでとは、目線を変える必要があった。
ここで、常にサポートしていただいたのが、上司(先輩)のHさん。
結果的に2年半、一緒に仕事をさせてもらう事となったのだが
一緒に仕事をさせてもらえる機会をもらえて、心底よかったと思う。
Hさんは、サラリーマンらしくなく自由奔放な感じで
人が思いつかないような独創的な発想で物事を考え
それを、ものの見事に言語化、資料化していく。
アイディア・発想力が半端なくて、マネジメント力も抜きん出ている。
しかも、スピード感も圧倒的。判断力、決断力も図抜けている。
なんといってもプレゼン能力がすごい。
そして何より上司をはじめとした周囲からの信頼も厚い方で
圧倒的に仕事もしやすかった。
後輩からの人望もあり、他の部署からも一目置かれ、相談が来るような方だった。
そして全国的に名が知れ渡っているという、とんでもない人。
私にとっては、まさに雲の上の存在だった。
この人に本気でビジネスやらせたら恐ろしいやろな、と思わせる人だった。
赴任直後から色んな人に
「Hさんが、お前を呼んだんやろ?頑張れよ!」
なんていうありがたい声を掛けて頂いていた。
どうやら金沢に一度出張に来ていただいた時に
金沢支社の支社長が推薦してくれたらしく
その額面通りに、Hさんも私を直下に配置してくれたのだ。
(大企業の異動にはこういう人脈の世界もあります。笑)
この言葉を聞かせてもらい、プレッシャーも感じつつ
「期待(?)に応えなきゃ。」という想いで
必死で仕事に喰らいつこうと頑張れたのは大きかった。
この方が私を東京に呼んでくれて、
一緒に働かせてもらえた事は幸運であり、感謝である。
この方と仕事をするうちに、感じたのは
この方のように「周囲に頼られる存在」になりたいという想い。
そして、何よりこの方が何も思い残すことなく異動できるよう
送り出せる態勢を整えられるよう成長したい、という想いで働いていた。
ロールモデルとなるHさんの直下で、2年半の間
一緒に働く事ができたのは、生き方を考える上でも大きかった。
突き抜けたメンバーの集まる場所
少し変わった部署であり、上司にあたる人が9人くらいいた。笑
そこで一緒に働かせていただいた上司は
営業管理職の中でも、とりわけ突き抜けたメンバーのみ。
私が配属されたのは、営業管理職を教育する部署。
よって営業管理職を教育できる人材が必要になる。
失敗者の話も参考にはなるが、より重みがあるのは
圧倒的な実力と成功体験を持った人材の持つノウハウ。
そして、その方々による直接的な教育が必要である。
よって、この部署には、全国でも名の通る
「営業管理職としての圧倒的な成功者」だけがいた。
教育役のポジションは
「現場で成功を収め続けた人しかなれない」
それに対して、ぺーぺーの私は、偶然にも
Hさんに引っ張ってもらえて、この部署に来られた。
所属した部署の特性もあって
一緒に働くメンバーにひたすら恵まれ続けた。
教材作成にあたり教えてもらうひとつひとつのノウハウ。
やりとりの中で感じるその人のオーラ、仕事の進め方。
事務局への任せ方、フォローの仕方。
すべてが勉強になった。刺激になった。
全然パターンや、やり方も違うのだが共通して、
締め切りに向かって仕上げていく徹底力が半端ない。
こうして所属内でも日々、刺激を受け続けることができた。
社内で最も恵まれた部署
私が所属させていただいた部署は
「社内で最も恵まれた部署」だったと思っている。
なんといっても上述の通り、人に恵まれていた。
そして仕事も内容も情報発信ということで、幅広く
多くの知識が必要となり、責任が重かった分やりがいもあった。
多くの部署との関わりも持つ事ができた。
この部署でなかったら、当然ながら今の私はいない。
この部署の話を抜きにして、これまでのキャリアを説明する事はできない。
「社内で最も恵まれた部署」にいられただけでなく、
その最高の環境で4年9ヶ月にわたり、
仕事をさせて頂いた事に本当に感謝である。
かなり長くなってきたので、次回に続けます。
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