おはようございます、久々の5時15分起きで気合いバッチリ!
まだ朝6時15分。やはり早起きすると時間を得した気分になります。
意識しないと、これまでの二度寝する人生に引きずられます。
二度寝をしない人生を選択する、この意識を常に持ち続けます。
1日30分の二度寝も積み重なると、月に15時間ですからね。。
さて、引き続きキャリア編。前回までの分はこちら。
高校までキャリアをどう考えたか?プチまとめ〜career08〜
日本生命を選んでよかったこと「人」「経験」〜career29〜
日本生命を選ぶまで、選んでから。プチまとめ〜career31〜
さて、キャリアシリーズもここからついに社会人編。
ここまでは机上の空論の世界でしたが、ここからはリアル編。
実際に社会人になり、働いたり、経験をする中で
自分自身のキャリアについて影響を与えた出来事や、
キャリアについて考えるきっかけになった事を
中心に紹介していきたいと思います。
ある同期の「総理大臣」宣言
4月1日から、2週間にわたる導入研修がありました。
東京(厳密には千葉)に同期全員が集まっての研修。
後にも先にも同期全員が集まったのはこの時だけ。
今、振り返ると非常に貴重な機会です。
この時、同じ部屋だったK氏とは色んな事を語りました。
今となっては、とても懐かしい思い出。
2週間の研修の中では会社の制度説明や、各部門の紹介。
印象的な「保険について」考えさせられた講演。
グループワークもありました。また人事面談もありました。
各部門の紹介等を受けて「どの所属に行きたいか」を
直接面談で伝えさせていただく機会もありました。
同期が210人前後いましたが、全員 自己紹介もしました。
その中でとある同期が「将来は総理大臣になります。」と
宣言をしていました。
今、思えば、この同期は本当にすごい、と思います。
見ている世界がまったく異なります。目線の高さが違います。
私は、入社の時点では「会社で一生懸命やります!」しかなく
社内しか見えていませんでした。
入社時点で「社外も意識」できるのか「社内止まり」なのか
この意識の差は、圧倒的な差につながります。
この同期の言葉には、度肝を抜かれ、未だに心に刺さっています。
キャリアを考える上で、「社外も見なきゃ」とはじめて意識させられたのが
この言葉だったような気がします。
運命の配属先発表
研修参加前にいただいた「入社のしおり」には
「すぐに引越ができるよう荷物をまとめておいてください。」
とあり、引越荷物をまとめた上で、研修に参加しました。
理由としては、研修後の土日で引越を終わらせる必要があるから。笑
導入研修のラスト2日には、人事面談等を通じて決定された
配属先の発表がありました。
同期全員がひとつのフロアに集まり
名前を呼ばれ、立ち上がり、その後に配属先が読み上げられる。
そのような流れでした。
1番はじめは首都圏、次が東海地方、近畿地方。
それが終わると、北海道から順に南に下っていきました。
私は、首都圏、東海、近畿の中では名前を呼ばれることなく
あまり南には行くなよ、、、
なんて祈っていると、ふと名前を呼ばれました。
「桂川融己」「はいっ!」
「金沢支社」「ありがとうございます!」
こうして、金沢支社への配属が決まりました。笑
金沢でなかったら、、、
この一言にどれだけの意味があったのだろうか。
社会人としての人生を振り返ると、
ものすごい深い意味を持つ「金沢支社への配属。」
一言でいえば「運命を変えた金沢配属」
ここに行かなければ出会わなかった人がいて、
ここでなければ経験できなかったことがあり、
私の人生(キャリア形成)において
「金沢でなかったら、、」があり過ぎます。
とりわけ「人」との出会い。
ここで出会った上司の、あるアドバイスがなければ
私はどんな社会人になっていたかわかりません。
先輩の指導がなければ、社会人としてまともに
仕事もできなかったと思います。
優しくも厳しく鍛えてくれたおかげで今があります。
当時の上司の人脈があったからこそ、運良く
東京のあの部署への配属がありました。
また支えてくれたスタッフさんと出会わなければ
あらゆる人と人のつながりもなかったでしょう。
金沢にいたから、地元まで車で3時間と
気楽に帰る事ができる距離だったため、
地元で友人と語らう機会も持てました。
ある人生を変える人との出会いは、
地元での情報交換にありました。
「金沢だったからこそ」を次回詳しく書きます。
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