最近、幾つか「契約」や「取り決め」に関して
やりとりをすることがあった。
その時に思ったことが幾つかあり
言葉にしておきたい、と思ったので
ブログにまとめておこう、と思う。
あえて、この言葉を使うが
「契約ってどこか古い」
「どこに意味があるのか?」
と思ったのだ。
契約以上に必要なのは「信頼」
どこまでいっても
契約を履行するかどうか、は
契約の有無とは関係ない。
究極的に必要なのは「信頼」。
そう思っている。
ミャンマーにいるから
余計にそう思うのかもしれないw
契約書があってないような世界だし。。。
でも、それだけでなく
自分が今、置かれている環境から
そんな事を思っている。
私は、今 幾つか仕事しているが
ものすごく冷静に思い返すと
どれひとつとして
契約書なしで
信頼関係だけで
仕事をしているw
良くも悪くも、そんな状態だ。
契約書を交わすこともなく
メールでやりとりして
オンラインミーティングして
内容をすり合わせて
締め切りを決めて
金額を決めて
成果物を締め切り前に提出する。
ただそれだけだ。
契約書は結んでいない。
罰則規定も決めていない。
今、思うと危険な話だがw
ただメリットもある。
契約書をつくるって
それなりに手間もお金も掛かる。
そんな中で、
契約書がなければ
お互い 省エネ。
そして、
成果物もきちんと提出して
履行できてるから問題ない、
そう思っている。
お互いの「信頼」があるから
今のところは成立している。
契約は「踏み絵」的なもの?
というのも
現在「新たに契約を」と
そんな案件があった。
契約形態の話になり
1,プロジェクトベースで受ける
業務委託にするのか
2,あえて
雇用契約にするのか
3,その間を取るのか?
みたいな3択。
フルタイム出勤の必要はなし。
そんな条件の中で
「なぜ雇用契約にしたいのか?」
と、聞いてみたら
「情報漏洩を防ぎたいから」との
回答が返ってきた。
それを聞いて思った。
で、あれば
守秘義務契約を
締結すればいいのでは?
もっといえば
守秘義務契約を締結したところで
本当に守られる保証は
どこにもない。
どこまで言っても
契約は契約であるし、
社員であろうが
外部委託であろうが
情報を漏らすやつは漏らす。
世の中に情報漏えいネタは
死ぬほど溢れている。
例えば
友達の秘密を漏らすやつって
一定の割合でいますよね?
だから究極的には
モラルの問題であり
信頼関係の問題。
裏切りたくない、と
どこまで思うか、みたいな。
例えば
守秘義務契約であれば
いくら契約書内に
情報漏えい時の
罰則事項が書かれていても
漏らすやつは漏らす。
もっといえば
バレてない事も多いだろう。
とはいえ
何かがあって揉めた後に
「損害賠償いくら」とか
事後に話し合うと収拾がつかないから
事前に話しておいて
何かあった時に備える
という意味では
契約に意味はある。
守秘義務契約に関していえば
予防策的に活用することで
罰則規定でもって守らせる
という人もいるだろうけれど
究極的に
「守るか、守らないか」と
契約書の有無は関係ないかな、と。
正義感というかモラルというか
そこしかないように思う。
とはいえ
信頼を見えるカタチにする手段として
ある意味では
「踏み絵」的な意味合いとして
意味はあるのかもしれない。
昔でいう
盃を交わすとか
血をすする
みたいな。
「成果」が最大の目的
例えば、
契約書を結ぶことを頑なに拒む
とかは、さすがに
やばいやつフラグが立つだろう。。
とはいえ
契約を結ぼうが、何しようが
約束を守らないやつは守らない。
例えば、新たな取引をする時
短期的に、騙される事もあるかもしれない。
しかし、長期的な視点に立ってみると
今の社会では、
信用情報はかなり可視化されている。
以前よりも透けている。
ブラックボックス化させることは
かなり困難だ。
例えば、日本で詐欺をはたらいて
ミャンマーに逃げてきたとしよう。
10年前 だと
なかなか情報が届かないから
長く潜伏できていただろうけれど、
今は、あっという間に情報が届く。
世界の裏側の情報でも
サクッと届く時代。
情報を隠すことが難しくなっている。
そういう時代なのだ。
だからこそ 逆に
あらゆる面で信頼を積み重ねる事って
本当に重要だと思う。
信頼がなければ
契約書はただの紙切れであり
約束だって意味をもたない。
もっといえば
過去の実績だって
人の評判だって
会社の売上だって
参考にはなるが
本質的には大した意味はない。
お互いに信頼できるかどうか
それしかない。
だから
契約形態とか、肩書だとか
そういうモノが
本当に意味をなさなくなっている。
会社経営者が
囲いたい気持ちはよくわかるし、
経営者は色んなモノを背負っていて
従業員を雇っていて
みたいな凄さはもちろん
わかってるつもりだけど、
それと 信頼 は別物。
大切なのは
一緒に何かをやった時の実績や
最終成果物だけ。
◯時間働いている、とか
◯件訪問した、とか
過程も 究極的には関係ない。
依頼主からすれば
期待する成果 と 締め切り を提示して
依頼された人が
最終成果物 を 納期通りに提出する。
理想をいえば
「予想を超えて、期待を裏切る成果」を出して
満足してもらえるかどうか。
そこにしか価値はない。
どこかの社員だとしたら
(会社が求める)成果を出すために
手厚いサポートが入り
何かミスがあっても
誰かがカバーしてくれる体制がある。
会社は「成果」がほしいから、だ。
だから 社員がミスっても
死ぬことはほぼない。
とはいえ
同じミスを何度も繰り返してたら
信頼はされなくなるし、
仕事も振られなくなる。
どうせあいつにお願いしても、、、
ってなってしまう。
すべてのベースは「信頼」。
そして
求められるのは「成果」。
だからこそ信頼なくしては、
契約も意味をなさない。
だから
信頼を勝ち得る上では、
一生懸命やったけどできなかった
なんてのは、何の意味もない。
「ここまでできました。」
「こんな方向性でいいでしょうか?」
「ここで困っています。」
「◯◯頃に、一旦 見せます。」
「ちょっと相談したいんですが。」
と、進捗報告したり
依頼された事に対して
相手が望む スピードか
それ以上のスピードで
ハイ・クオリティで応える。
それを繰り返していくしかない。
どうすれば「信頼」されるのか?
それを考えて動くしかない。
その意味でも
依頼する側としては
相手をどこまで「信頼」できるか。
依頼される側としては
相手の「期待」や「信頼」を
どこまで 重んじて行動できるか。
そこでしかない。
そして求められるのは
ただ1つ「成果」のみ。
お互いに「成果」に向かって
約束を履行できる相手かどうか
そこを見極めるしかない。
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