今回のテーマは、
お金を払ってでも読みたいコンテンツ。
即ち
お金を払う 価値 のあるコンテンツ。
・「価値」とはなんでしょうか?
・価値は、どう決まるのか?
・書き手は、どうしたらいいのか?
あえて答えを一言で言うなら
読み手を絞り込む、これに尽きます。
人によって違い過ぎる「価値」
「価値」は、人によって、
大きく異なります。
例えば、ですよ。
私からしたら
ミャンマーに関するニュースは
超 価値のあるニュースです。
特に、ミャンマーの新聞では
こんな報道がなされている。
そんな類の情報の価値は
かなり高く感じます。
とりわけ、他の日本人が
知らない情報であれば、尚の事。
差別化できますからね。
その反面、
ミャンマーに興味すらない人からしたら
まったく価値のない情報です。
悲しいかな、これがリアル。
しかし、私にとっては
めちゃくちゃ 価値ある情報です。
もっといえば、他の人からしたら
私以上に 価値を感じるかもしれません。
まったく同じ情報であっても
人によって「価値」は異なるのです。
情報でなくてもモノでも同じ。
特に、アンティークの◯◯ とか。
宝石とか絵画とか。
であれば
「価値」ってのは何なのか?
って話になります。
ここで 「コンテンツの価値」を
考えるきっかけにもなった
noteの話にも ちょっと触れましょう。
note が 提供するのは価値交換の場
note では コンテンツに
お金を払う事ができます。
無料のコンテンツも多いけれど
有料コンテンツがたくさんあります。
書き手からすれば、
課金がしやすい仕組みになっていて
読み手からしても
払いやすい仕組みになっています。
その仕組のおかげもあり
「これを読むなら 100円」
ってのが成り立つわけです。
note のプラットフォーム内では
コンテンツの価値交換が成立するのです。
※財布の紐を握るのは、読み手。
だから、note 内には
お金を払ってでも読みたいコンテンツ
が、集まるようになっています(そのはず)。
「お金を払うなら読んでいいよ」
っていう コンテンツ が
たくさん並んでいます。きっと。
逆の立場からいえば、
お金を払ってでも読みたいと考える
読者も集まっています(そのはず)。
これは、
このプラットフォームの持つ
重要な価値でしょう。
このプラットフォーム内では
コンテンツ を 中心に置いた
「価値の交換」が行われています。
「この記事は、500円なら価値あり。」
と考える読者の価値観と
「500円は払うべきコンテンツだ。」
という記事の書き手の価値観が
この場で交換されているのです。
既に コンテンツに価値がある
と世の中的には注目をされていて
もちろん本も出版していて
それなりの読者数を抱えた書き手
ホリエモン、はぁちゅう、イケハヤ
なんかは
note でも きっちり稼いでいます。
読者にとって、彼らの記事は
お金を払ってでも読みたいコンテンツ
だから、です。
無料だったら読みたいけれど
お金を払うなら いらんわ。
って人も間違いなくいます。
しかし、
お金を払ってでも読みたい!
と、考えて
記事を買う人が一定数いるようです。
ほら、「価値」が浮き彫りに。
A)時間をかけても読む価値あり。無料なら。
と、判断する人と
B)時間をかけても読む価値あり。500円払っても。
と、判断する人と
いずれも存在します。
どちらが いい、悪いではありません。
「価値観」が異なるわけです。
その価値観のマッチングを
note は 実現させているのです。
note ってすごい面白い場です。
価値の視える化を実現したのです。
では その「価値」とは?
「価値」を決めるのは誰?
ここに踏み込んでみます。
ただの情報に「価値」はあるのか?
いや、情報単独には、
それほど価値はありません。
ある情報に対して
書き手の思考や分析が入り込むことで
そこに付加価値が生まれるのです。
その思考や分析が
独特だったり、
専門的だったりすると
その価値はさらに高まります。
希少価値があること も 価値を高めます。
では、誰にとっての価値 なのか?
それは あくまでも 「読み手」
情報を受ける人 にとって、です。
発信する人が
「この情報の価値は高いぞっ!」
と、いくら息巻いても
受け手からしたら
「ふ〜ん。で?」
となる事も。
その場合、価値はほぼゼロです。
読み手がコンテンツにお金を払う
世の中の一般的構造を考えれば
価値を決めるのは「読み手」です。
だから、どこまでいっても
読み手にとって「価値があるのか?」
が、重要なわけです。
どういったコンテンツに価値があるのか?
それは読み手のみぞ知るわけです。
価値を決めるのは
あくまでも 読み手なのです。残念ながら。
こちらが幾らドヤ顔で
「これ、価値あるでっ!」
と、言ったところで
相手がどう思うか、は別の話。
「え、じゃ、どうしたらいいの?」
って話ですよね。
ポジショントークする側に、尖れ!
1つ、回答はあります。
発信者ならでは、の分析や
その人の思考など
独特の視点が加わることで
付加価値となる。
例えば、
落合陽一 が言うのなら
ホリエモン が言うのなら
はぁちゅう が言うのなら
と、読まれる記事ありますよね?
その
「落合陽一」「ホリエモン」「はぁちゅう」
側になればいいのです。
いわゆる、ポジショントーク。
する側になればいいじゃんって話。
どっかで尖ればいいのです。
いきなり 日本全国を相手にしたら
アホかって言われるでしょう。
読者層を絞ればいいのです。
「自分の出身の町の若者向け」とか
「大学のテニス部の後輩」とか。
書くテーマも同様に絞ればいいのです。
インド映画の感想、とか
ミャンマー映画の感想、とか
絞れば、ポジション取れます。
そして、そこに
自分なりの思考を入れるのです。
そうすれば、
「この人が言うなら、、、」
ってなるわけです。
そのうち、きっと。。
とはいえ
読者を絞るのも
テーマを絞るのも
欲張りな、私には難しく
今日も迷走していますw
ブログテーマをついて悩む人に
つまり、今の私に向けて
書いた記事でした。
超まとめれば
「価値を決めるのは、読者。」
だったら
「読者を絞るといいよ」って話。
おしまい!
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