2月12日は連邦の日で
ミャンマーは祝日です。
何を祝った休日なのか
例のごとく調べてみました。
独立記念日については
以前に書いた通りですが
この歴史と大いに関係しています。
やっぱりなかなか
ミャンマーの歴史も知らないものです。
毎年2月12日、連邦の日の歴史
毎年、2月12日が連邦の日です。
英語では Union day。
1947年2月12日
パンロン協定が署名・合意に至り
ビルマが統一国となった日なのです。
もう少し丁寧に説明しましょう。
1886年から
ミャンマー(当時 ビルマ)は
イギリスの統治下に置かれていました。
イギリスは ビルマ中部 と
地方部の少数民族グループを
区別して統治していました。
地方部は
面積では
ミャンマー全土の3分の2を占め
人口比率でも3割程度になります。
そこそこの規模なわけです。
第二次世界大戦の終結に伴い、
・暫定ビルマ政府トップのアウンサン将軍
・シャン州の代表者
・カチン・ヒルズの代表者
・チン・ヒルズの代表者
がビルマ国の未来を決定するため
パンロンで会談を行いました。
そして
1947年2月12日
パンロン協定は署名・合意に至りました。
協定の内容は
ビルマを統一し、イギリス政府から
ビルマ全土の独立を回復するよう要求
したものでした。
よって、パンロン協定は
ビルマ連邦 創設の基礎を形成するもの
となったのです。
この合意は
1948年1月の
独立国家 ビルマ創設に直結する
ミャンマー歴史上の鍵となる出来事
となりました。
このパンロン協定の合意に
尽力したアウンサン将軍は
1984年7月19日に
暗殺されたため
1948年1月4日の
ビルマ独立の瞬間を
見ることはできませんでした。
その後、ビルマは
1989年、軍事政権によって
「ミャンマー」へと改名されました。
連邦の日 関連のあれこれ
連邦の日には
ピー通り 沿いの
人民公園で祝賀式典
が開催されます。
連邦の日の5日前から
ユニオンフラッグの
中継リレーがはじまります。
市役所をスタートし
人民公園に到着するまで
45のタウンシップを巡るとか。
また連邦の日、前日から
首都ネピドーでは
伝統の民族舞踊コンサートなどが
開催されるそうです。
また、国民にとって連邦の日は
各民族の文化や歴史を学ぶ日でもあります。
学生達は、
数ヶ月前から連邦の日に向けて
愛国的な詩やエッセイを書く
といった取り組みもするんだとか。
また連邦の日、当日には
愛国的なスピーチも行われるそうです。
なんとも素敵な日ですね。
パンロン会議
パンロン会議 との 言葉は
ここ数年でも耳にします。
それは
アウンサン将軍の娘である
アウンサンスーチー国家顧問が
少数民族との和解協定
を結ぶべく奔走する中で
当時の コンセプトを参考に
「パンロン」の名前を
使っているから、です。
歴史的な出来事である
パンロン協定。
同じように
21世紀版 パンロン協定 が 締結され
ミャンマーの国と 少数民族の争い が
なくなり、平和が実現され
その平和をベースとした
経済発展が進んでいくことを
強く願うばかりです。
ミャンマーの歴史をこうして
改めて学ぶのも
やっぱりいいものです。
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