産みの苦しみと直面中。
原稿を書くって
楽しいのだけれど
やっぱりなかなか大変だ。
仕事をしようとしている時間。
この時間って、厳密には
仕事をしているようで
仕事をしていない時間になる。
だから、そんな時間も
実は、ちょっと苦痛だったりする。
タイムラグをなくしたい。
産みの苦しみ
最近は、毎日
なんだかんだ仕事をしている。
厳密に言えば
仕事をしよう、としている。
そんな表現なのかもしれない。
仕事をしようとしていることも
仕事に含まれる、と
考えれば、
やっぱり仕事をしているのだ。
でも、やっぱり
成果に直結しないわけだから
仕事をしていないのかもしれない。
何をしているの?
と、問われれば
原稿を仕上げよう、と
もがいている。
もがけども
もがけども
なかなか前に進まない
苦しい日々。
そう。
「産みの苦しみ」
それを強く感じている。
誰かが喜んでくれれば
本当に苦しい日々。
産もう
産もう
産もう
そう思いながら
真剣に原稿と睨み合う。
そして
とにかく
手を動かし始めれば
確実に
それは産まれてくる。
苦しみの先に
成果がやってくる。
成果、といっても
自己満足でしかない。
正解はないのだ。
それでも
その原稿を見て
面白い!
と、言ってくれる人がいる。
お世辞かもしれない。
それでも
確かに
そう言ってくれる人がいる。
だから、私は頑張れる。
「産みの苦しみ」は苦しい。
だけれども
苦しんだ先に
誰かの喜んだ顔が
見られる。
その可能性があるなら
何度でも苦しもう。
苦しんで
苦しんで
苦しんで
産もう。
タイムラグをなくしていこう。
それにしても不思議だ。
どうして
書き出すと
筆は進むのだろうか。
書き出すまでには
すごく時間が掛かるのに。
このタイムラグが
縮まれば
もっともっといいのにな。
なくなれば、いいのにな。
思考を挟む事なく
サクサクっと進めていければいい。
それなのに
脳は、どうしても
思考を挟んで邪魔をしようとする。
脳にとっては
セーフティーガード
なんだろうけど
やっぱり邪魔だなぁ。
小さい事からでいい
思考と行動の間にある
タイムラグをなくしていこう。
たまには
テイストの違うブログも。
コメントを残す