ウーチッマウン(U Chit Maung)通り。
そんな名前の通りがある。
ふとしたきっかけで、
ウーチッマウンさんの歴史を調べたら
ペン で 国の独立を支援したジャーナリスト。
ペンは剣よりも強し、なんだろうか。
ウーチッマウン(U Chit Maung)さんとは?
先日、ある方と話していたら
「U Chit Maung通り」
の名前が登場しました。
年に1週間だけ
U Chit Maung通りの片側が
閉鎖されて、露店が並ぶ。
「そこに並ぶ、牛モツが美味しい」
そんな情報でした。
U は ミャンマー語で
目上の男性につける敬称です。
つまり、人の名前なわけです。
ふと、U Chit Maungさんと
何か関係があるのだろうか??
と、そんなところから
ちょっとばかり
深掘りしてみたわけです。
U Chit Maungさんとは?
Wikipedia を参考にしています。こちら
一言でいえば
ジャーナリスト です。
アウンサンスーチーさんの父で
建国の父として国民から愛される
アウンサン将軍をサポートすべく
ライターとして働いた愛国者。
New Light of Burmaの編集長も歴任。
その後
ミャンマーでよく知られていた
ジャーナル誌「チョー新聞」を発行。
1913年生まれ、1945年死去。
34歳の若さで亡くなっています。
※前後 1年は誤差がある可能性。
そして、今の私の年齢と同じ。。
生い立ち
彼はバゴー管区の南端に位置する
タラワディー(Tharrawaddy)区
Okphoで生まれ育ち
ラッパタンの高校で学びました。
高校卒業後は、
ラングーン新聞で働きはじめた。
彼は
「シュエリンヨン」のペンネームで
政治小説を書き
「トゥー」のペンネームで
大人向けの教育小説を書いていました。
その後、彼は
ジャーナル チョー と呼ばれる
自身の新聞を発行するようになった。
ビルマの労働階級向けの愛国的な文体は
当時のビルマを支配していた
イギリスの植民地政府を批判した。
第2次世界大戦後、
ビルマの独立活動をはじめ、
イギリス政府に逮捕された事も。
彼は、アウンサン将軍が結成した
「反ファシスト人民自由連盟」
の活動にも積極的に参加してました。
が、健康状態を悪くし
34歳の若さで亡くなりました。
彼は今も
ミャンマーの ジャーナリスト の
ロールモデル とされています。
文筆家だらけの家系
ちなみに
妻 で ジャーナリストの
チョーママレー(Kyaw Ma Ma Lay)は
夫の伝記「Thu Lo Lu」を書き
その本は
「A man like him」として
英語に翻訳され、出版されています。
この方も、ジャーナリストとして
有名な方のようです。
長男のMaung Thein Dan は俳優。
娘のDr.Khin Lay Myint(2007年に死去)は
著名なフランス学者です。
彼女は、母親の書いた作品を
フランス語に翻訳したほか、
いくつかのフランスの古典を
ミャンマー語翻訳した事でも有名です。
1番下の息子 は 詩人 Moe Heinです。
ペンは剣よりも強し
調べてみて感じたこと。
ミャンマーには
人の名前を冠した通りが幾つもあります。
今回は、U Chit Maung さん。
通りの名称になるくらいですから
おそらく、相当 有名なのかと。
ミャンマーの完全独立が1948年。
第2次世界大戦後から1948年の独立まで
もっとも重要な時期に活躍した人が
この国では、かなり敬われています。
最も有名なのは
アウンサンスーチー現国家顧問の父であり
独立の父として国民から
圧倒的な支持を誇る アウンサン将軍。
それ以外にも
通りの名称に 人の名前が入っている道は
多いのですが、、、
ふと 耳にした名前を調べてみたら
記者・ライターとして
ミャンマー独立に大きな貢献をした人物
とのことで、ちょっと心震えました。
ペンは剣より強し
の言葉を思い出しました。
が、今のミャンマーでは
「ジャーナリズムが踏みにじられている。」
と、ちょっとした騒ぎも起きています。
2017年12月13日、
「ロヒンギャ問題」に関して
警官から治安に関する重要資料を不法に入手した
としてロイター通信記者2人が拘束される。
その後、2018年1月10日、
「国家機密法違反」の罪で起訴される。
そうした動きに対して
国内メディアの記者からも当局を批判する声が上がっており
2月16日には、地元記者らが、ヤンゴンでデモ行進を行い
2カ月以上の拘束が続いている2人の早期釈放を求めた。
なんて具合いに、ジャーナリズムに対して
「報道の自由が保護されていない」
といった強い批判を受けている。
U Chit Maung氏は、
イギリス政府には逮捕されながらも
反英活動に加わり、
ミャンマー政権の独立をペンで支援。
結果として、
ミャンマーが独立に成功したため
その名が、刻まれているのだ。
一歩間違えれば、、、と
思わずにはいられない。
ジャーナリスト魂の強さを感じる。
今のミャンマーでは
ジャーナリストは意見を言いにくいだろう。
捕まってしまうかもしれない
という状態では、さすがに苦しい。
ジャーナリズムの父 として知られる
U Chit Maung氏は
どう捉えるのだろうか。
「それでも、ペンで戦うしかないのだ。」
とでも、言うのだろうか。
なんてことを思ってみた次第。
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