小学校の頃から読もうと思い続けて
20年越しでようやく読了!笑
日本に帰国して実家でのんびり。
その際に読んだのが「モモ」
小学校の時からこの本は家にありました。
母から「読んだらいいよ。」と言われ
姉は読んでおりました。
不朽の名作「モモ」
で、私 KGY自身も
小学校くらいの頃から(笑)ずーっと
読もう、読もうと思い続け。
今回の実家滞在時に
父の本棚に並んでるのを見つけ、
ようやく読みました。
手に取って読み進めたらあまりにも面白く
あえて読む時間を確保して読んだほど。
その本のタイトルが
「モモ」
なんとよく見ると
日本では1976年に発売された本。
1974年にドイツ児童文学賞を受賞。
で、父は読了した時期を本に
書き込んでありましたが
「1983年 読了」との記載。
なんと、私が生まれる前。
それだけ古い本だったとは。
「モモ」は現代にこそ通ずる
読んだことある方も多いかもしれない。
時間どろぼうである「灰色の男たち」と
不思議な少女モモの対決という物語。
のんびりしていた生活から徐々に
「灰色の男たち」に時間が奪われていく。
気付かぬうちに時間を節約するようになり
気付けば、誰も彼もが
常に時間に追われ、あくせく働き
友人とゆっくりと語らう時間さえも
奪われていってしまう。
時間を節約し、効率化する人間たち。
それに巻き込まれていく子供たち。
(下記の文章は超印象的)
しだいしだいに子どもたちは、
小さな時間貯蓄家といった顔つきに
なってきました。やれと命じられたことを、
いやいやながら、おもしろくもなさそうに、
ふくれっつらでやります。そして自分たちの
好きなようにしていいと言われると、こんどは
なにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。
まるで「現代社会」を見ているようだ。
そんな時間に追われる「現代社会」に
警鐘を鳴らす物語が「モモ」だ。
時間の意味を考えさせられる1冊。
繰り返すが日本での発売は1976年。
40年以上前に描かれた本だ。
当時からみれば、今は「未来」にあたる
あえて「現代社会」と書いたが
まるで今の世界の事を言ってるようだ。
で、最後のあとがきの文章で
ドキッとしました。
その記載がこちら。
一応 抜き出しておきます。
もうひとことつけ加えたのですが、
そのことばをわたしは読者に
お伝えしなければと思うのです。
「わたしはいまの話を、」とそのひとは言いました。
「過去に起こったことのように話しましたね。
でもそれを将来起こることとしてお話ししても
よかったんですよ。わたしにとっては、どちらでも
そう大きなちがいはありません。」
この文言、非常に重い言葉です。
確かに「モモ」を読んでいたら
古い時代のイタリアかどこか古代都市を
思わせる時代設定であり、
過去の物語として読んでいました。
でも、読んでいるうちに
「これは、現代社会の事を言ってるのでは?」
と考えさせられました。
が、この本が書かれたのは40年前。
ということは、あと10年後に読んでも
きっと同じような事を思うのでしょう。
だからこそ
「過去のことのようだが、将来起こること。」
という言葉が出てきたのかもしれません。
KGYが思う「時間」
時間は一様に流れています。
誰でも24時間は同じように流れます。
が、その使い方は様々。
今の私のように日々のんびり暮らしたり
あくせく朝から晩まで働いたり
いい悪いではなく色んな過ごし方があります。
同じ24時間なんだけれども
まるでまったく違うようにさえ見えます。
睡眠時間の長短もあるでしょう。
仕事内容にもよるでしょう。
どこで生活しているかもあるでしょう。
色んな要素が絡んできますが、
同じ時間でもまったく違って見えます。
が、同じ時間なのです。
時間に追われることも仕方ありません。
人との約束だったり、色んなものが
「時間」とセットで交わされる事が
多いのだから。
しかし、ただただ時間に追われるだけ。
これはやっぱりイヤだな、と。
先日、読みおえた「ワークシフト」でも
同様の事を感じた次第です。
なかなか現実には簡単じゃないかも
しれないけれど、
自分で自分の時間をコントロールする。
これを大切にしたいな、と。
それを強く感じる次第です。
ワークシフト、モモ 新旧のこの2冊が
「時間」について触れられるように
人の生活からは切っても切れない関係。
だからこそしっかり向き合わないと。
ただなんとなく過ごしてたら
なんとなく時間は過ぎていきます。
自分の時間をどう使うのか。
ここと向き合っていこうと思います。
と、言いつつ グダグダ過ごす事が
多過ぎるんですが。苦笑
それにしても深い深い本「モモ」。
時間の意味を改めて問う1冊。
少しばかり時間を割いて
ぜひ読んでみてください。
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