今日は朝から晩までひたすら寝ました。
なぜか、ひたすら眠り続けられました。
で、一本の電話で目覚め、
明日の「しつもん読書会」を
前に控え、思考中。
明日のしつもん読書会のテーマ
「本当に、自分のできる最大限のことをやったのだろうか?」
やりきったとしても「完璧」はありません。
最大限のことをやるとは
「思いつく限りのことをやり尽くすこと」
「もっと何かできるはず」という
思いを大切にしてチャレンジし続ける事が、
自分の成長、さらには成果へとつながっていくのです。
といった感じのことが書かれていました。
で、考えてみました。
その時にふと出てきたワードが
以前にどこかで聞いたことのある言葉。
「全力を出さないという逃げ」
というワードだった。
で、ちょっとググってみたら
為末大 さんのブログがヒットした。
「全力について」 2015.1.21
http://tamesue.jp/blog-20150121/
人間には限界がある。できることとできないことがあり、
努力してもなんともならないことがある。
ただそう言い切る前に大事なことが一つあって、
それは努力というのがどの程度を指すのかが
人によって違うということだ。
長い間競技をやってきて思うのは、全力を出したことがある、
または出すことができる人は案外と少ないということだ。
中には7割の力のことを全力だと思っている人もいる。
嘘をついているのではなく、人生で7割しか出したことがないから
本当にそれが限界だと思っている。
昔地球の端っこは崖だと信じられていた。
行ってみるまではどこが端っこかわからない。
ここまでが限界だと思っていたところを越える瞬間があった後、
それまでは全力を出していなかったとようやくわかる。
全力を出すことは怖い。
まず全力を出し切ると疲弊して、くたくたになる。
だから、ついペース配分をしてしまうが、
その状態で全力を出すことはとても難しい。
力を配分するということは余裕を残すということだからだ。
一方で、全力は痛くも苦しくもある。
自分が傷つくかもしれないという恐れがあって
全力を出すことは怖い。
そして全力はコントロールが効かない。
全力はなりふり構わない状態で出る。
どう思われても構わない、どうなったって構わない。
ある種の狂気の状態で全力は出る。
本当の全力は、自分の身の安全すら二の次になる。
一度でいいから人生でこの瞬間を経験している人がいう
”努力でもなんともならないことがある”は信じられるが、
一度も全力を出したことがない人は”努力しきったことがないから、
努力でなんともならないことがあるかどうかもわからない”
というのが正確なところだろう。
ずっと全力でなくても構わないが、
一度でいいから本気で何かに力を出し切ることは
限界がどこかを悟る上でも大事なことだと思う。
スポーツはほとんどの人が勝者にはなれないが、
この全力の出し方を覚えるという点でとても貴重な機会だと思う。
私は全力の出し方は応用可能だと考えている。
自分には未だ見知らぬ自分がいる。
全力とはその自分に出会うために必要な儀式といえる。
深い、深過ぎる。
特に響いたのは
全力を出す事は恐い
という言葉と
なりふり構わない状態。
という言葉。
この境地には到底 達していないなぁ。
なんだかそんな自分、イヤだ。
で、この記事を思い出したのは
友人で写真家の関さんの言葉
現在 ビルマの学び舎 をテーマに写真展開催中
https://www.facebook.com/events/520367478104671/
ブータンで有名な方なのだ。
二度ほど時間を共有させていただいたが
この方の 考えは、なんだかとても好きで
一緒にいて気持ちのいい方なのである。
この方が以前に書いていたこと。
これが自分の心境とすごい近くて残っていた。
http://kensakuseki.com/blog/page/2/
とはいえ、関さんは
とんでもなくすごい世界の方なのだが、、
「負癖」
今回の旅のなかで為末大さんと話しながら
自分の癖に気がついた。それは負癖だ。
無意識のなかで自分は世の中に出るべきでない人間、
自分なんて・・・
とブレーキをかけていることに気づいた。目の前にチャンスが転がっているにもかかわらず、
許可を出せずにいる自分が見えてきた。
まるですぐにお腹を見せてしまう犬のようだ。それは小さいころからやってきた陸上競技の影響が大きい。
自分が一番輝ける場所だと思い小さいころから、大学4年まで続けてきた。
しかし、陸上競技をやめるまえ、周りとの才能の違いを見せつけられた。どれだけ努力したって越えられない壁があると思い知らされた。
これでもかと言われるくらい自尊心を傷つけられた。その時、自分は選ばれなかった人間だというレッテルを
自分でたくさんつけていたのだ。もう忘れていたことだったけど、為末さんと話す中で、
今でもそれを続けている自分に気づいた。会話の中で為末さんの表情が変わった。
「それは為末さんだからできたんでしょ?」
という皮肉っぽい言い方をしてしまった時だ。それは勝負をしない人の視点だと指摘された。
為末さんは人生には3つのレースがあると話してくれた。
陸上競技のレースは終わった、今は次のレース。
陸上では世界一になれなかったけどそれは今関係のないこと。今、ビジネスというレースでまた勝つことを意識している。
どこで自分が勝てるのか、どうやったら勝てるのか。勝つこと・・・
為末さんの会話の中でたくさんでてきた言葉であり、
もうずっと自分の中にはなかった言葉だった。勝つことは重要ではないと自分に言い聞かせ、勝負することから逃げてきた。
このままずっと逃げ続けるのか。
それとも自分と向き合いもう一度勝負にいくのか。勝つこと。
何者かになること。
高みを見続けること。自分の中に眠っていた勝負師をもう一度目覚めさせよう、
為末さんとの旅はそう決断するきっかけになった。
本当、これだよなぁ、とつくづく感じる。
負けたくないから、本気を出す。
ではなく
負けたくないから、本気を出さない。
※本気出してないし、と言い訳の余地を残し、
負けたと認めない。
これ、やってしまうパターンだ。
そんな格好悪いパターン、イヤだ!
本気 出して 負けたっていいじゃん。
本気で挑戦した自分を愛して
失敗を許してやればいい。
今日、3名の友人が
100キロのウルトラマラソンに
挑戦していた。
100キロ、山を走るのだ。
挑戦して、見事に目標達成した者と
途中で リタイアしたものがいた。
が、どちらも格好いい。
挑戦せずに、
「あれは違う世界だから」
と外で見ているだけで
批評家ヅラしてるような
ダサい人間にはなりたくない。
(今の私はこっち側だ。。)
格好悪くてもいいんだ。
全力を出し続けていれば。
全力出してる人間こそが
一番格好いいんじゃないかなぁ。
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