さて、4月にヤンゴンからブラジルに行きました。
その時の様子は、こちらにまとめておりますが
写真を中心にお伝えしておりますので、
思考の部分について、気付きを書いていきます。
ブラジルの街の色合い
先日、訪問したブラジルでは
色合いが強く印象に残りました。
あ〜この街の色がいいなぁ、と
サルバドールでそれを強く感じました。
ブラジルでは色んな色合いと出会いました。
サルバドールの街のお土産屋さん。
カラフルです。目がチカチカするくらい。
1泊目のホテル(レンソイス)。
この色は、、、と思うけど、なんかいい。
サルバドールの町並み。
ここは超・キレイです。リボンの色と街の色と。
オリンダの街。
サルバドールとは、また違う色合い。
よりどぎつい、というか。笑
またこんな色合いも。
真っ青な教会。
キレイです。
実は、ひとつひとつは、バラバラの色の組み合わせ。
ポルトガルの植民地だったり
オランダに占領されたり、と
ヨーロッパの影響が大きいらしい。
しかし、それにしても美しい。
町並み というか 色合いがたまらん。
見ての通り
ひとつひとつ バラバラ。
統一感ではありません。
全然、まとまりがありません。
でも、意図か、意図せずかはわかりませんが
隣とは違う色です。
これが組み合わさる事によって
絶妙な色合いの美しい町並みとなってます。
バラバラが混ざって、調和する。
そして、個性が浮かび上がる。
そもそもの「色」の概念
少し前に流行った ドレスの色 のやつ。
青と黒 か 白と金 みたいな。
By Sideswipe
ありましたよね? これって
「人は周りの色から色を判断している。」
ここから来てるんだとか。
という言葉があるらしい。(昨日 教えてもらったw)
Wikipedia的に
簡単にいえば「感じ」のことだとか。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、痛覚 など
「感じ」はたくさんある。
しかし、その感じは
・言語化することは難しい。
・感覚なので「間違い」はない。
・他者からは推測できない個人的なもの。
こんな定義がされていた。
これがクオリアらしい。
この”水の色”は何色でしょうか?
という質問に対して
「私は青に見える。」
に対して
「いや、青緑でしょ。」
とかそういうもんではない。
個人の感覚なんで、答えもない。
哲学っぽいですが、
「隣に◯◯色があって、それと比較すると
ちょっと緑っぽいから、青ではない。」
とか言ったとしても
「そもそも、◯◯色って正しいの?」
「空は青だよね?だったらこれも青だよね?」
「いや、空は空色だから、青じゃない。」
とか堂々巡りになるのだ。
間違いはないし、他者からも見えない。
なんとも難しい概念だ。。。
まぁ感覚的に、周りとの違いで
色を判断している、ということ。
これは言われてみれば、わかる。
何が言いたいかというと
周りに色があり
これまでに見てきた色がある。
だからこそ「◯◯色」と
「自分の感覚で」判断できる。
ということだ。
そして、私は
ブラジルの町並みを見て
「美しい」と「感じ」たのだ。
キャリアに置き換えてみる
キャリアについても
周りがいるからこそ、自分の存在がある
という事ではないだろうか。
会社内でも、社会の中でもそうだ。
日本にいる人がいるからこそ
他の国にいる事が珍しい。
とかそうなるのだ。
海外にずっといる人からすれば
日本から出た事ない人が希少に映るだろう。
そういうわけである。
社内のキャリアでも同様だ。
営業畑にずーっといる人がいたり
人事畑にずーっといる人がいたり
5年で5部署経験してる人がいたり
Aという部署からBという部署に異動し
「社内で」特殊といわれるような
キャリアを描いている人もいるだろう。
自分1人だったら、
特殊でもなんでもないのに、
他の人がいるから、そういうのが生まれる。
ここをうまく使っていけば、
差別化ができるはずなのだ。
10年も一筋だったのに
思い切って方向転換したのは凄い。
とかとか。
こういうものの一部が
個性で勝負する。
こうした言葉なのかもしれないが
自分1人だと誰とも差は生まれない。
しかし、人がいるから差が生まれる。
ミャンマーにいる人はたくさんいるけど、、、
というそんな視点である。
この視点を持ってして
自分自身と向き合っていこう。
今は、向き合う期間。
だからこそ、向き合うべし。
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