さて、ここんとこ何日か
アウトプットに意識を向けてます。
が、やっぱりインプットしようとする自分。
そこで考えてみました。
インプットがないとアウトプットできないのか?
まったくのゼロだと無理でしょう。
しかし、実は人って
めちゃくちゃ多くのインプットがある。
放っておいても、山ほど入ってくる。
それを気付かないだけ。
そういうことが多い。
レストランの紹介とかだと
インプットがないと無理だが
そうでなければ、勝手に入ってくる。
これまでに本を読んだり
テレビを見たり
先生に習ったり
人と話したり、と
多くのインプットがある。
例えば、日々の会話。
おそらく仕事をしていれば、
人とやりとりすることはあるだろう。
そんな人とのやり取りの中で
お! と思う瞬間があるかもしれない。
そんな時に
メモしておく。
それでだけで
インプットが1つ増える。
それを元に、
なぜ「お!」と思ったのか、と
吐き出せば、アウトプットだ。
意図を向けるだけでインプットは増える。
人は慣れる
先日、ヤンゴンに来て1ヶ月の
インターン生が面白い事を言っていた。
「よくも悪くも、1ヶ月で慣れた気がする」
と。そんな意味合いで話していた。
彼は、ヤンゴン到着直後のイメージが
まだ強く残っていて、
その比較の中で、という話かと思う。
でも、きっとこれが事実。
人間には適応能力がある。
この本の中にも書かれていた。
人の幸せの決定要因に触れた部分から引用
引用ここから
人間関係がこじれたり、仕事で失敗したりすると、
我々は不幸になると考えている。
ところが、実際にはそうでもないというのだ。
人間は、我々が創造するよりはるかに短期間のうちに、
よくも悪くも、これらの自分のまわりの
環境要因の変化に慣れてしまうのだ。
環境要因(人間関係、お金、健康)をすべて合わせても、
幸せに対する影響は、全体の10%にすぎないのだ。
(P.68)
引用ここまで
という具合である。
人間の適応能力は高い。
しかも、驚くほどに。
というわけである。
これを、改めてインターン生の言葉から感じた。
「慣れた。以上」 の先に
で、何が言いたいか、というと
慣れた、と感じると、慣れてしまう。
きっと慣れることは事実だろう。
でも、ここからが大切だ。
慣れた、で終わってはいけないのだ。
慣れた。
でも、気付きはたくさんある。
ここに目を向ける。
目を向ければ、たくさんの気付きがある。
こうした気付きは、
日々のインプットとつながる部分が多い。
インプットとアウトプットがつながる。
こうした感覚が大切である。
今の私が大切にしたいのはここ。
インプットしまくったけど
一切、使うところがない。
これでは、情報も腐っていくだけ。
腐らせないようにする事も大切。
そのために、文字として綴っている。
しかし、これでも不十分である。
それを噛み砕いて自分のものとしていく。
これをこそやっていくといいかと。
しばし
インプットを止めて、アウトプットする。
そういう期間にしようと考えている。
と言いつつ、ついつい本を読んでしまう。。。
止めよ。
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