現在、ホーチミンに来ております。
どうも熱くて熱くて、ホテル内が快適。笑
そして考え事をしよう、と決めていたので
そうした時間をなんとか捻出しています!
今は、変容と葛藤の時期だとか。
ちゃんと向き合い考えていこう、と思います。
ホーチミンの1日
さてホーチミンに来ておりますが
直前がバタバタで、ほぼノープランで突入したため
苦しい展開を強いられております。苦笑
同行者もいたので、その人任せの面も。
とはいえ、ホーチミンに行きたい人も
多いかと思いますし、何かの参考になれば。
現地での生活をちょっとレポート!
空港から出て タクシーで市内へ。
SIMカードは下調べゼロで、購入。。。
mobifone というところのやつ。3G。30万ドン。1500円強。
値段が最適かどうかも不明。たぶんちょい高い。
でもまぁ可愛いもんだ、と割り切り。
今更どうしようもないし。。。
タクシー乗り場は、空港を出て左へ。
ちょっと離れた場所にこんな表示。
で、事前に調べておいた
安心なタクシー会社 マイリン か ビナサン
を探して乗車。
およそ30分程度でホテル到着!
料金は合計14万ドン(800円弱)。
降りる時に空港から出る時に料金がかかる、と
1万ドン×2人分払ってもた。ちょっとミス。。
ランチ
ホテルにチェックインして早速 出発。
フォーを食べました。
生春巻きも食べました。
料金はざっくりこんな感じ。
フォー 普通サイズで 5万ドン。
お店はこちらのチェーン店。
その後、JETROへ訪問。(事前アポ済)
有意義な情報が得られました。
海外ブリーフィングサービスは、超オススメ。
先日のマレーシアでもよかったです。
オシャレなコーヒー屋さんも行きました。
店内もめっちゃ綺麗。
なんかの工事をしています。道?地下鉄?
こんなに道を塞ぐか? って位 幅広く通行止め。笑
こんな建物の前ずーっとクローズ。
建物は人民委員会庁舎だそうです。
で、ショッピングセンターも突入。超綺麗。
町中では、自転車が流行ってるのか
なんかやっておりました。
そして有名スポット「郵便局」
建物の中もなかなか雰囲気があります。
通常営業中でありつつ
(奥に肖像画があるのが ホーチミン氏。
ホーチミンの名前は、人の名前から来てるらしい。)
お土産屋さんもあります。笑
サイゴン聖マリア教会
郵便局のすぐ隣にあります。
(右手に見えるのが郵便局です。)
見学可能な時間に要・注意
朝 8時~11時 と 午後3時~4時
中は超綺麗なステンドグラス
キレイな空間です。
明るさを変えて撮るとこんな感じ。
どうやら撮影スポットらしく
結婚式の記念写真的なものを撮ってました。
こんな感じで、3組同時に。笑
こちらはオペラハウス
中はこんなんになってるようだ。
そして、ベトナム名物 バイク(ホンダ)!
晩ご飯は nha hang ngon
店内も超・綺麗。
住所はこちら
食べ物は、どれも おいしい!
空芯菜の炒め物
つけ麺的なやつ(ブンチャー的な名前)
生春巻き
が、生春巻きはソースが口には合わず。。
やっぱり日本の食べ物が美味しいっす。
とはいえ、とてもいい雰囲気のお店。
泊まったホテルはこちら
BLUE DIAMOND HOTEL
1泊3,000円以内だったような。
お得です、そして綺麗で バスタブつき!
ナイトマーケットも趣きがあります。
ど真ん中をバイクで走り抜けるのも
またベトナムらしい気もします。笑
ざっくり1日目はこんな感じで過ごしました〜
知らない事には興味すらわかない。
旅をしながら感じている事
ホーチミン 観光するところではないかな。
というか、私が 観光に対しての興味が
明らかに薄れている事がわかりました。
というか、
知らないから興味がわかない。
ただそれだけなのだろうな。。苦笑
下調べをすることは、旅を楽しむための
重要な行動だと、そんなことを感じています。
知らない事には、興味すら持てません。
今のベトナム旅行はちょっとそんな節あり。
そんな中 どんな国なんだろう? と聞いた
ジェトロへの訪問は収穫大。
この先のミャンマーがどうなっていくのか
方向性を考える上で
とても面白いヒントを得る事ができた気がします。
「労働集約型 産業」の限界とその先
を、ベトナムを見つつ考えてみると
面白いのではないか、とそんな事を
この瞬間は考えています。
ある方の見解では
ベトナムの労働集約型産業はあと5−6年で
また別の地へ移行していくでしょう、と。
その先がミャンマーなのか、はたまた、、、
それはわかりませんが、
先を見据えながら、
国が戦略的に誘導していくことが必要。
とりわけASEAN 経済統合後に
ヒト・モノ・カネが自由に行き来できるように
なったとしたら、国家戦略が大きく影響します。
だからこそ、今から 表明しておく必要がある。
そんな事を感じています。
そうした国家戦略は、税制優遇や外資規制等の
側面から見る事ができるでしょう。
国家だけでなく「じぶん」へ
これは 国家の話だけではありません。
個人でも同じ展開が予想されます。
国家戦略ならぬ
「じぶん戦略」
とでもいいましょうか。
私は、これがやりたいんだ!
と公表し、宣言する。
ついつい領域侵犯されてしまう
可能性があるので
そうならないようにルールをつくる。
※自分の中でのマイルールレベルから
同時に、人に対して
だから私はこれはやりません、と宣言する。
その宣言によって
「あんた嫌いや。。」
と、言ってくる人もいるでしょう。
しかし、これをしてはじめて
人からの認知が得られることとなり
本当にその方向に向かっていけるかと。
戦略とは捨てること
藤田さんも書いてます。
人生の9割は「捨てること」で決まる
http://project-initiative.com/blog/archives/492
各国の戦略をみて、我が身に置き換えてみる。
じぶん戦略
みなが考えていく必要がありそうです。
そして旗を掲げる。
こうした思考をもらえる旅は心地よい。
そうした意味でも旅は学びが多い!
まだあと1日ホーチミン。
全力で楽しみます!
下呂のイクロー says
ホーチミンとは、ベトナム民主共和国の初代主席で、ベトナム戦争でアメリカに対抗した指導者です。
ベトナム戦争とは、
アメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を盟主とする共産主義陣営との対立(冷戦)を背景とした『米ソの代理戦争』であった。ホー・チ・ミンが率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)側は、南ベトナムを「アメリカ合衆国の傀儡国家」と規定し、共産主義イデオロギーを背景に、ベトナム人による南北ベトナム統一独立国家の建国を求めるナショナリズムに基づく植民地解放戦争であるとした。
第一次インドシナ戦争終結後も、北ベトナムが支援する南ベトナム解放民族戦線(アメリカ合衆国民はベトコンと呼称)が南ベトナムで武力を用いた反政府活動を続けたため、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権は少数のアメリカ軍人からなる「軍事顧問団」を南ベトナムに派遣した。ジョン・F・ケネディ大統領は軍事顧問団の規模を増大させた。リンドン・ジョンソン大統領は大規模なアメリカ軍を送ってベトナム戦争に積極的に介入した。
こうして見ると、J.F.ケネディは、はたして「偉大な大統領」だったのだろうかと思ってしまいます。