どうも、KGYです。
ホーチミンに来ております。
ヤンゴンとは全然違って産業も
かなり先にいってるイメージ。
ホーチミンは、ベトナム内でも別格。
数字で見ても 2013年の1人当 GDP
ベトナム全国 1,902USDに対して
ホーチミン 4,549USD。
この差はすごいものがあります。
ミャンマーとヤンゴンの関係も
そうなっていくような気もします。
涙が出る「致知」
さて恒例の致知の時間。
本当にいつ読んでも刺さります。
今月も深くていい話ばかり。
なぜか読んでいて涙が出てきた
話題が2つありました。
どうして泣いたのか自分でも不明。。
家族とか教育の話題にはやはり惹かれます。
が、今回はとあるビジネスマンのお話。
西山弥太郎氏という御方
「鉄のパイオニア」と謳われたという
川崎製鉄(現・JFEスチール)初代社長 西山弥太郎氏。
「西山弥太郎の歩いた道」
というタイトル
なんともすんごい方だったようで。
日本経済新聞で有名なコーナー
「私の履歴書」を書いてほしい
という依頼を断り続け、
自分を語ることをよしとしなかった方だとか。
彼の好んだ言葉は
「拙補勤以」
能力が足りない分は努力で補う、の意味。
その言葉通り、
毎日夜遅くまで勉強していたのだとか。
人からの信頼を勝ち得た人柄を見ると
熱意、努力がとんでもなかったのだろう。
5ページの特集内で特に刺さった言葉をご紹介。
「人のいいところだけを」
引用ここから
「あなたもいつか人を使う立場になるだろう。
色んな人がいるが、その人のいいところ
だけを見て使ってゆきなさい」
西山氏の最期を看取った医者が
かつて本人から直接聞いた言葉。
(何とも深い言葉である。またこんな記載も)
元工員や社員への取材を通して感じたのは、
西山のことを話すことが本当に幸せそうだった。
一緒に仕事をしたことを誇りに
思っている人がとても多かった。
人間力といい、人使いを極めていたのだろう。
こうまで人に言わせる とはとんでもない次元。
そして、同時に芽生えたのは
こう言われる人になりたい、という想い。
2つ目の言葉がこちら。
エネルギーを収斂させ、世界のために
引用ここから
すべての行動は良質な鉄をつくるという
一点に収斂されていた。
一つの方向、目的に向かって
すべてのエネルギーを収斂させることができたのが、
西山だったということもできるだろう。
もっとも西山は
単に鉄だけのことを考えていたわけではなく、
それを社会のため、あるいは日本のため
ひいては世界のためにという
思いを抱いていたことも見逃せない。
これを読んで感じたこと。
ここまで言わしめるだけの「仕事」
私にとってのそれは、何なんだろうか?
一生打ち込めるその情熱の凄まじさ。
これを考えずにいられなかった。
また同時に
世界に役立つには?
という視点を常に持ち続けないと、と。
「可能性」に着目する
ついつい自分がやっていることは
大した事じゃない、とか思い
ドンドン視野が狭まってしまう。
悲しいかな、そういうもんである。
特に、人に命じられた 等
自分の意志でやってない仕事は
余計にそうなりがち。
だからこそ視野を狭めず
目線を高めていく。
可能性を広げる方向に導く。
これはリーダーの仕事である。
そんな事を、ふと思った。
言葉にして伝えるならば
「あなたがやってるのは、
実はすごい事なんです!
わかってますか?!」
といった感じでしょうか。
一人一人がやっていることは
確かに小さいかもしれない。
しかし、それが
社会のため
日本のため
世界のため
どう役に立っているか
そう考えてみる。
それでも出てこないなら
夢物語でいいから
どう役に立つ可能性があるか
そう考えてみると
アイディアが湧いてきませんか?
ワクワクする!
今、ミャンマーにいるという事。
この事には
すごい可能性が秘められている。
ミャンマーに対しては
日本が相当数の投資をしている。
海外からも多くの投資がある。
そんな中で
今、日本人として
ミャンマーにいる人は
日本企業の成長のために
何かしらチカラになれる。
会社員なら会社員として
日本企業の発展に寄与する立場として
例えば飲食店なら、例えば
日本の会社員を支える立場として
もしくは日本をPRする立場として
とか色んなカタチで
日本のチカラになり
世界のチカラになる事ができる。
このチカラになる事が
日本のためになり
世界のためになる
そう考えてみると
パッと視界が開ける。
物事を考える際には
縮こまらず
可能性に 着目してみよう!
人のいい面だけを見る、といった話も含めて
西山弥太郎さんは
常に 可能性にフォーカスしていたんだろうな
と、そんな事を感じました。
可能性を見続ける人生、なんかワクワクします!
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