こんばんは、KGYです。
どうも最近の起床時間はデフォルトが7時半。
んーちょっとモードを切り替えねば。
Skypeについて申し込みを一件いただきました。
ありがとうございます!
また改めて日程調整が必要ですが、ご連絡ありがとうございます。
引き続き、Skype しませんか? お待ちしております。
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ミャンマーの情報や現地採用の情報等
お伝えできることはいくつか、あります!
さて本題へ。
「涙」
今日、久々に人の涙を見ました。
私は、最近 涙を流していません。
そして、なかなか涙を見る機会も減りました。
恋愛してないのもあるのでしょう。。。苦笑
私の心が冷たいから、とかではなく
歳をとるにつれ、涙を見る機会・流す機会が減りました。
日本にいた頃は、月2本は映画を観て
よく泣いていました。
映画を見て泣く、とかは、よくありました。
が、こちらに来てからはめっきり泣いてません。
映画を観る機会がめっきり減ったからです。
その代わりに読書をしている、という感じでしょうか。
涙活(るいかつ)(説明はこちら)なんて言葉もあるように
「泣く」って事は、意図的にしないと機会が減っていくのでしょう。
結構「涙」から遠ざかっていたな、と。
今日 久々に 人が泣く のを見ました。
と、これを書いていたら
一昨日も泣いている人を見た事を思い出しました。
その件について、原因は不明でした。。
震えながら泣いていて、感情が爆発した感じでした。
思い出してみると、結構 泣く子を見てきました。
日本以上に「泣く人を見る」頻度が高い。
感情が高まる事が多いのか、はたまた純粋なのか?
ミャンマーの人は結構、泣く のかもしれません。
涙腺が弱いのかも?!
なぜ人は「泣く」のか?
若い、というのもあるのかもしれませんが
「純粋である」というのもある気がします。
「純粋さ」を失うと涙が減る気がします。
※個人的意見です。泣かない=純粋じゃない、という事を
言いたいわけでもありません!
表現の仕方がわからない時に泣く。
そんなパターンもあるような気がします。
そもそも「泣く」という行為はどんな時にするでしょうか?
色んな気持ちが溢れて、
こらえきれなくなって「涙」となってあらわれる。
そういったものじゃないかな、と思います。
よって、気持ちの整理がつかなくなって
どうしようもなくて、どう表現したらいいかわからない時に
「涙」となって表れるような気がします。
例えば、赤ちゃんは基本的には「泣く」しか表現方法を
持ち合わせておりません。
よって「泣く」ことで色んな表現をします。
しかし、大人になるにつれて、色んな表現方法を身につけます。
「泣く」以外にも、訴える方法を身につけます。
「泣き真似」「怒る」「無口」「無視」とか色んな方法で
表現できるので「泣く」頻度は減るような気がします。
しかし、どうしても表現の仕方がわからない時には
原始的な「泣く」に戻る気がするのです。
色んな「泣く」があります。
嬉し泣き、悔し泣き、悲しくて泣く、情けなくて泣く
なぜかわからんけど泣く
それぞれ表現方法はあるのですが、
あらゆる表現の行き着いた先にも
「泣く」があるような、そんな気がします。
スタッフが泣く のを見て、そんな泣かんでも、と
そんな想いを持ちながら話していて、
なぜかそれを見て、もらい泣きしていた子もいて
それを見ていて「泣く」ということや「涙」について
考えさせられました。
きっと心がキレイなんだろうなぁ。
純粋なんだろうな。
なんだか泣きたくなってきたので、
今週末は、少し映画でも観ようかしら。
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