おはようございます、ここ2日間 早起き生活中。
ヤンゴンでの6時起きですが、日本だと8時半。
日本に帰った事で、体内時計が崩れ、そのおかげかと。時差に感謝!
さて、先日 はじめてミャンマーの首都ネピドーへ行きました。
せっかくなので、首都ネピドーの事を少しだけ紹介させて頂きます。
ミャンマーの首都「ネピドー」とは?
ミャンマーにゆかりのある人でないと、
「ネピドー」という名前すら知らないかもしれない。
ヤンゴン(旧ラングーン)が有名だが、
現在のミャンマーの首都は「ネピドー」なのである。
場所はだいたいこんな感じ。(そもそもミャンマーの位置知らんって人もどうぞ。笑)
ヤンゴンとの位置関係はこんな感じ
ネピドーはこの赤の点線の範囲のようです。
少し前に首都がネピドーに移ったということは知っていたが
いつから?なんで?といった事を知らなかったので調べてみました。
経緯・遷都の理由については、Wikipediaを一部引用。
——————ここから———————-
2003年夏から、ピンマナの西 数キロの軍用地だった場所に
新行政首都が建設された。
ミャンマー国家平和発展評議会は省庁・政府機関を
ヤンゴンからピンマナへの移転を2005年11月7日より開始。
トラックによる大移動が行なわれ、2006年初頭には
ほとんどの政府庁舎がそろうことになった。
しかし、学校が不足しており、家族はヤンゴンに残留し、
職員も休日にはヤンゴンの自宅に戻る人も多い。
ミャンマー政府は2006年3月27日の国軍記念日に新首都で
軍事パレードを開き、内外の報道陣を招き、その席で
首都地域をネピドー(Naypyidaw,「王都」「首都」の意)と
呼ぶ事を公式発表。
10月10日には公式に遷都を発表した。
遷都の理由は下記4つほどあげられる
1、イラク戦争同様にアメリカの侵攻を受けた場合、
海に近いヤンゴンより占領されにくく、戦略的に有利
2、少数民族の多い州に近く、内戦への対応にも有利
3、元首相のタン・シュエ氏のお抱え占星術師の命令による
4、軍事政権が都市部の市民を恐れた。
教育レベルがあがった国民が増加し、市民運動や革命が
起こることを危惧した。
——————ここまで———————-
なかなか興味深い情報である。
まだ遷都から10年も経っていないのだ。
そして元々は軍用地という事で
知られざる秘密なんかもありそうだ。。
ネピドーの様子。
せっかくなので町中の様子を写真でお届け。
空港のカウンタースペース。
画面の左端に見えるような電光掲示板が並び
まさに国際空港の様相である。
ヤンゴン国際空港よりも圧倒的にハイクオリティー
20車線道路。
ホテルエリアを抜けた先の省庁ゾーンへ入った辺りにこちら。
圧巻の風景です。片側10車線の道路!
軍用目的だという噂だが、めちゃくちゃ広い。
国会開催中はクローズされているとか。。
そして車はほとんどいない。笑
国会議事堂
窓の外、左奥に見えるのがミャンマーの国会議事堂。
近付くとかなり大きい建物である。
レストランの様子。
選べるメニュー制で、たくさんの中から3つ選択。
どれが何かはわからず、直感で選択。
こんな具合に盛りつけられて1,500Ks(≒150円)
マンダレーにもこのスタイルはあったが圧倒的に安い!そしてうまい!
人気店のようで、多くの人がいた。
レストラン勝 ネピドー店(8月18日オープン)
オープンの情報を聞いていたので、立ち寄ってみました。
メニューはヤンゴンとほぼ同じだそうです。追加で寿司が食べられるそうです。
外観の様子
店内の様子
名刺(住所はこちらからご確認ください)
地図もついていましたのでご参考に。
ネピドーのショッピングセンター
衣料品も売ってます
文房具もたくさんあります
奥の方に見える通り、自転車なんかもあります
途中で、店員さんに「写真撮るな」と注意されたので写真はここまで。笑
他にも、バッグからお酒から何から何まで。
本当に幅広いラインナップで、テレビなんかもありました。
2階には映画館もあり。ここしかないから、ここになんでもあるようです。
初のネピドーはちょっと感動でした。
なんといっても片道10車線の道路は圧巻!
ネピドーは、車がないと移動はとても大変。
各省庁の間も10分とか20分とか掛かったり、
全省庁が集まっているのはいいけれど、省庁間移動は大変です。
リスク分散という意味では、いいのでしょうけれど
使い勝手としてはちょっと不便な印象でした。
でも新鮮で、いい経験になりました。ネピドーの様子でしたー。
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