早起きチャレンジ4日目。
早いものです、3日坊主は超えました。笑
あと何日続くかわかりませんが、目標である1週間に5日の早起き。
これはあと3日のうち1日達成でクリアなので頑張ります!キャリアシリーズ、続き。これまでの分は下記参照ください。
高校までキャリアをどう考えたか?プチまとめ〜career08〜
生活拠点が決まり、大学がはじまり1週間以内で、
学部内で一緒に時間を過ごすメンバーが決まっていました。
というのが、前回迄。 今回は、部活編です。
硬式テニス部入る予定が、、、
中学、高校まで軟式テニスをやっていました。
地区では、個人で優勝もする等 成果もありました。
で、「大学では硬式テニス」と決めていました。
そして、硬式テニス部の見学・練習に参加。
硬式は軟式と多少の違いはあるにせよ、6年間の
テニスの経験もあったおかげで、なんとかできそう。
そんな感触でいました。
偶然にも、自分の住むマンションキャロットの
隣の部屋の住民が硬式テニス部の先輩だったり、と
ほぼほぼ入部ムードでしたが、、、
飲み会に耐えられず
それが、崩れたのは「飲み会」
大学1回は18歳。飲酒NGですが、
大学生なのでやはり飲み会がありました。
ここの「飲み会」が「飲まなきゃあかん」が強く
まったく酒の飲めない自分にとっては苦痛でした。
本当に「苦痛」でしかなかったのです。
誰も「飲めないなら無理するな」みたいなのはなく
「飲め、飲め」だったような感覚を受けて
ゴールデンウィークの新歓コンパも断り
「ここではやっていけない」と、入部をやめました。
遊びとバイトの半年間。。
その後、半年程は、遊びに明け暮れました。
前回書いた、入学式後に出会ったメンバーと遊びました。
大学でグダグダ過ごした後に、みんなでカラオケ行ったり
そこから近くて広い「アダチ家」にみんなで集まって
ウイイレとかして遊んだり、ワイワイ喋ってたり。
ガストに4日連続行ったり、朝6時頃に学校行ってみたり。
花火をしたり、野球部「名谷モッツ」をつくって練習したり。
とにかく意味のない事も含め、グダグダと遊んでいました。笑
そうこうしているうちに時は過ぎていました。
6月頃に雨が降ったある日。すごい気分がだるかったある日。
倉本家に「学校行くぞ」と呼びに行ったものの、結局学校に行かず、
倉本氏と2人でひたすら語った事もありました。
梅雨のジメッとした空気の中で、何を喋ったか覚えてないですが
暗い中でひたすら喋ってたような記憶があります。
ただその時「このまま過ごしてたらいかん」と感じたのは、覚えています。
それを機に、色々と思い直して動きました。
バイトをはじめたり、と少し環境を変えにいきました。
居酒屋「つぼ八」でホールとして働き、そのうち「ドリンカー」も。
バイトと大学という、典型的な大学生活をしていました。
軟式テニス部への入部
それでも、生活に張りはなく「テニスしたい!」という想いは強く
後期になって知り合った友人の知り合いを経由し、
ようやく10月頃に軟式テニス部の自主練習に参加。
大会シーズンが終わった後の時期でしたが、紹介してくれた
o山くんが練習に付き合ってくれ、他のメンバーとも顔合わせ。
その後、練習に参加させてもらうようになりました。
雰囲気があたたかくて、心地よく、何よりも
少しはテニスが出来たので、テニスが楽しくてたまりませんでした。
年末の忘年会的な会あたりで、初めて「飲み会」にも参加。
「飲め、飲め」という空気もこの部活は少なくて、自由な感じで
雰囲気もよかったので、入部を決意しました。
そこから、軟式テニス部生活が始まりました。
2回生からは、きっと部活の誰よりもテニスコートに出現し
出席率は異常に高かったと思います。
本当に大学時代のかなり多くの時間をテニスに費やしました。
軟式テニス部への入部がなければ、何をしていただろう?
本当に想像がつきません。。
そんな部活だったのですが、入学後、すぐの入部ではなかったのです。
硬式テニスを飲み会のイヤさで入部断念し、
しばらくは同じ学科の友人と遊びまくり(これで親交が深まりました!)
バイトと大学という生活を続け「このままじゃいかん」と思い
ようやく秋になり、軟式テニス部に入部したのです。
この経験はしておいて良かったな、と今も思います。
文字通り「遊び」の期間です。
この期間があったからこそ、部活だけでなく学科の友人達とも
交遊関係を築く事ができました。
いきなり部活に入っていたら、学科には友人がいなかったかもしれません。笑
次回は、多くの時間を過ごした部活についてもう少し詳しく触れます。