本日、5月13日はヤンゴンは祝日です。
よって、少しのんびりと午前を過ごしています。
これからしばらく、読書に出掛けようかしら。
今日、読む予定の本はこちら。
勉強会仲間から紹介された本です。
キャリアシリーズ、前回の続き。これまでの分は下記参照ください。
ここまでで既に6回。まだまだ長くなりそうな予感。
前回は、高校時代にキャリアを意識した話として
とある夢見がちな将来の話をする中で「年収1,000万円稼げる男になろう」
と思ったという話について書きました。(前回分はこちら)
本当に、このキーワードに感謝です。
高校時代にキャリアを考えた話
オープンキャンパスへの参加
高校では、先生からオープンキャンパスへの参加を
強く薦められました。
そこで、友人と2人。仙台にある「東北大学」に行きました。
目的の9割は旅行。笑
朝6時前に電車に乗って、青春18切符でひたすら移動。
岐阜県の飛騨から名古屋を経由して、東京方面に向かい
東京から北上して仙台に向かい、22時に仙台に到着。
そして、オープンキャンパスに参加しました。
正直、何を見た、とかあまり記憶にありません。笑
「綺麗ー!」とか「広いー!」とかそうした感動も
感じなかった、というのが実際のところ。
仙台に行った記憶も結構、うっすらです。。
「百聞は一見に如かず」ということで「見て感じる」
「自分が通う環境をイメージする」という意味で
効果的なのだと思います、想いがあれば。。
イメージできれば、推進力が増しますしね。
目的の9割が旅行だったので、
到着出来た事に満足したのでしょう。笑
「指定校推薦」
中学から高校に進む際、推薦を狙いましたが、
結果的に、親の薦めもあり、受験すらしませんでした。
高校は進学校だったので、過去の先輩方のおかげで
「指定校推薦」という進路選択の方法がありました。
それを知って、親に相談。「法学部に行きたい」と。
またもや見事に撃沈しました。笑
学習院の法学部だったのですが、今 振り返ってみると
学費とか生活費とか考えると、行かなくてよかった。笑
結局、自力で受験することとなりました。
大学選び「地方」「学部」
「受験校の選定」「願書の取り寄せ」にあたり
どこの学校を受験するか?を決める必要があり
願書を取り寄せる必要がありました。
この辺りからは、かなり具体的にキャリアを
意識しはじめていました。
年収1000万が頭にあったのか、選んだ学部は
法学部、商学部、経済学部、経営学部
といった文系に完全に絞っていました。
理系の中では「文転」と呼ばれていました。
文系に転じる、という意味合いだと思われます。
2年で選んだ理系のまま3年まで行くので、途中から
「やっぱり文系に戻ります!」なんて選択肢はありません。
属しているのは理系です。その中で文系を目指すのです。
物理とか生物とかも受けつつ、目指したのです。
実は、私の姉も同様の「文転」パターンでした。
理系に属していましたが、文転して、文学部に行きました。
そういうパターンを見ていたから、
これもいいんだ!と、思えたのはあるかもしれません。
私の場合は、学部と学力から大学選びに入りました。
自分の進みたい学部と、現在の学力をみると、
この辺りの大学には行けそうだ、というのが見えます。
そこから大学選びを開始しました。
その中で学部は「経済」が中心の軸となりました。
担任の中切先生と「経済」か「経営」かなんて話をして
「お前はちょっと幅広く考える経済がいいんじゃないか?」
なんて言われて、その後に冗談か本気か
「MIT(マサチューセッツ工科大学)とかいいんじゃないか?」
なんて言われました。笑
当時は、世界的にすごい大学、くらいしか知らず。。
ちょっと調べてもふーん、くらいで終わってました。
「海外の大学を目指す」なんて考えてもいませんでした。
今、思えば、、、という感じではありますが。。。
地方ならではの悩み
次に「大学選び」です、ここは悩みました。
私の出身は岐阜県の飛騨。下呂の近くです。
前提として、家から通える大学はありません。笑
よって、考えるのは、「どこに行こうか?」と。
まず、一人暮らしが前提なのです。
当初は、関東に行きたいなぁ、なんてことも思ってました。
姉が神戸大学に行ったため、高3の夏休みに、姉のところに
遊びに行きました。大学見学にも行きました。
そして、甲子園に何日か通い詰めました。生・寺原見ました。
その時に、関西っていいな、神戸っていいな、と感じたのです。
そうした経緯で「関西の公立大学を狙う」事に決めました。
当時の自分の学力やセンター模試の結果等を見る中で、
センターがうまくいけば、神戸がギリギリ狙えるかな、と
非常に甘く考えていました。
で、ダメだったら大阪市立、神戸商科といった感じでした。
得意科目が数学で「2次で数学が選択可能」「各教科の配点」
これも重要な条件のひとつでした。
受験してみて(センター後)
センターを受け終わって、見てみると
神戸はまず無理だな、と。笑
で、前期と後期の出願先として
前期:大阪市立、後期:神戸商科と決めました。
私立は、関西学院大学の法、経済、経営だったか3つ。
そんな感じで受験に突入しました。
関西学院大学は、見事にすべて落ちました。笑
そして、前期の大阪市立も落ちました。
自分の計算の中では、ギリ受かったかな?
と思ってましたが、世の中そう甘くありませんでした。
そして、後期 神戸商科大学。
ここが落ちたら、他はどこも受けてないので浪人確定。笑
ちなみに、後期は数学のみでかなりの配点率です。
これは、いける、と信じて受験しました。
偶然にも、恩師である池田先生が授業の中で
紹介してくれたのと同タイプの問題が出たため、
手応えもバッチリあり、大丈夫だろう、と。
そして、結果発表。見事に合格しました!
合格発表を受けて、担任の中切先生に電話。
自分「合格しました、神戸商科大学に。」
先生「お前、浪人はせんのか?」
というやりとりでした。
おめでとう、の前に浪人を薦められたのです。笑
今 思い返せば、ちょっと意味がわかります。
この当時は、意味がわかっておらず
「いやいや、受かったんでいきますよ」と。
こうして受験戦争(?)は過ぎ去りました。
正直、それほど というか まじで勉強してませんが。。
当時は、大学・学部の選択がこの先の人生を
大きく左右するとは、考えてもいませんでした。
当然、それがすべてではないんですが
1つの大きな分岐点である。
今の日本においては、間違いのない事実だと思います。
その事をよくわからないままに大学・学部を決めていました。
結果としてよかったとは思っていますが。
長くなったので、ここまで。
次回は、ここまで書いた、高校生活を簡単にまとめます。