ヤンゴンの一等地にそびえ立つサクラタワー。
屋上看板に、何が書かれているかご存知ですか?
HITACHI と書かれていました。
ほんの少し前までは。
いつからHITACHIだったのでしょうか?
私の知る限り、少なくとも3年はHITACHI。
(情報によれば、18年の歴史だそうで。)
それが今、変わろうとしています。
ぜひ見上げてみてください。
時代が変わろうとしているのかもしれません。
どうなる日本の存在感
ヤンゴンにはサクラタワーという
日系の管理会社が運営する
ヤンゴン1 高いと思われるビルが
市内一等地にあります。
道を挟んだ目の前には
高級ホテル・スーレーシャングリラホテルが建ち
また別の道を挟んだ正面には
ヤンゴン中央駅があります。
街の中心地 スーレーパゴダから
ほど近くにあり
いわばヤンゴン市内の中心地の
一等地にそびえ立つビルが
サクラタワー。
サクラタワーといえば
「HITACHI」の看板
でお馴染みです。
いつからなのかわかりませんが
私が知ってる限り(過去3年)
サクラタワーの屋上看板は
ずっと「HITACHI」でした。
(情報筋によれば18年だそうです。)
時代が変わろうとしている
気付いてる人、いますかね?
今、このように変わろうとしてます。
「CB BANK」へと。
こちら側はまだ取り付け前。
日本からの来客者と一緒に
サクラタワーの
ルーフトップバーへと
足を運んだのですが
「赤い光が見えないぞ?」
と、違和感を覚えました。
というのも
すぐそこに
HITACHIの看板があり
そこから放たれる赤い光が強烈で
ヤンゴンヤンゴンは赤い
そんなイメージだったのですが
その灯りを感じなかったのです。
で、見上げてみると
取り付け中と思われる
CB BANK の看板。
HITACHI から CB BANK へ。
サクラタワーの最上階の
一番目立つ広告は
ミャンマー企業に変わるのです。
あえて前向きに捉えると
他の外資系企業じゃなくてよかった。
とも言えます。
しかし、日系企業の名前が
ドーンと出てたのがなくなる。
これには、どこか寂しさを覚えます。
以前、カンボジアを訪問した際に
誰かに言われた事を思い出しました。
ランドマーク的なビルの看板に
日系企業の名前があるのか
韓国企業の名前があるのか
これって意外と影響が大きい、と。
日系企業の名前を多く見掛ければ
当然ながら
「日系企業が強い国なんだな」
と、思うでしょう。
日系企業の名前を一切見なければ
印象に残らないでしょう。
看板を見るのは
日本人だけではありません。
ミャンマー人も多く見ます。
印象にも残るようです。
タクシーに乗る時
「サクラタワー」
で、ほとんどの場合、通じますが
場所を知らないタクシードライバーに
「HITACHI の看板のあるビル」
と伝えたら理解して
貰えた事もありました。
看板が変わってもしばらくは
「HITACHIの・・・」
といえばわかるでしょう。
でも、時を経るにつれて
変わっていくのではないか、と。
当たり前も変わっていく
サクラタワーの前にある
スーレーシャングリラホテルは
2年半前まではトレーダーズホテルの名称であり
名称変更から1年以内くらいまでは
「スーレーシャングリラホテル」
と伝えても理解されませんでした。
こちらがトレーダーズからスーレーシャングリラに
変わった前後に書いたブログ。
変更直後から1年ほどは 旧名称の
「トレーダーズホテル」と伝えたら
理解してもらえる、みたいな感じでした。
今でこそ
「スーレーシャングリラホテル」と伝えて
大概のタクシードライバーは理解してくれますが
そういうものなのです。
2年も経てば、当たり前は変わります。
今、「トレーダーズホテル」と伝えても
ん??
という顔をするドライバーもいるでしょう。
スーレーシャングリラホテルの名称が
今や、完全に根付いています。
サクラタワーの上の CB BANK の文字も
いつか定着するのでしょう。
にしても、
日本のプレゼンスがちょっと心配になってみたり。
8月に久々に空港から市内に向かってくる道中
韓国企業の看板が目立っていた印象が強く
ミャンマーは韓国企業が強いのか?
と、思った記憶が蘇りました。
5ヵ月振りのリアル「FromYangon」渋滞と韓国と焦り・裏切り。
http://melt-myself.com/from-yangon20160813
さてさて、どうなっていくのでしょうか。
一等地のサクラタワーの屋上看板が
HITACHI から CB BANK に変わるだけ。
事実は、それだけです。
深読みし過ぎでしょうかね。。。
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