水シャワーが私を成長させてくれたお話。
ヤンゴンの環境は、私に成長を与えてくれた。
些細ながら自分の成長に気付ける環境。
ここヤンゴンは恵まれた環境ですよ。
※愚痴でも、ただの前向きアピールでもなく
気付きの記載ですのでくれぐれも勘違いなきように。
ホットシャワー強奪事件の背景
本日は、11月2日、水曜日。
気合いをちょっとだけ入れ
水シャワーを浴び終えたところ。
ふと自分の成長に気付いたのだ。
で、ここ数日の成長振りを
振り返ってみたくなった。
実は、10月27日から
温かいシャワーが浴びれていない。
約1週間、水シャワー対応中。
“あの やりとり” の前まで
ホットシャワーは
生活の一部だった。
そう、あの時までは。
その やりとりがこちら
「2、3日ホットシャワーを
お客さんに貸さなきゃいけない可能性が」
そう同居人より連絡があり
その27分後には
「今からうちのマネが家に行きます」
と連絡があり
可能性が現実に一瞬で変わり
あっという間に
ホットシャワー強奪事件が発生。
それから月日が流れ今に至る。
そういえば何日目だろうか。
ちゃんと数えてみよう。
27・・・1日目
28・・・2日目
29・・・3日目
30・・・4日目
31・・・5日目
1・・・6日目
2・・・7日目
おーそうか。
かれこれ7日目か。
ホットシャワー強奪事件から
7日間、、つまり1週間。
これは問題だ。
環境適応 ビフォー・アフター
改めて 思い返してみる。
2・3日って
言うてなかったか?
27日から3日経過した
30日にはあるべきものが
約束通りに戻って来てない。
時は経ち、既に1週間。
というわけで
私は今、怒っています。
ただ愚痴を言いたいわけではありません。
なぜならば
自分の環境適応力にも驚かされたから。
そこに気付く事ができたから。
いやね、
初日の水シャワーは
それはそれは
根性が必要だったわけです。
ミャンマーは暑いです。
最近は妙に暑くて
日中、外を歩き回れば
汗だくになります。
夜であっても寒い!とか
そこまでないです。
日本で、冬場に浴びる
水シャワーとは違います。
そこまでの根性いりません。
例えるならば、
プール開き 初日、薄曇りの午前に
消毒とシャワーが目の前にあるあの感じ。
イメージしてみてください。
本格的な夏が来る前の
プール開きの日。
あいにくの曇り空。
時間は朝10時。
太陽は雲の合間から
時折顔を出すだけ。
陽射しの温かさはない。
そんな日に
水着に着替え終えて
更衣室からプールに向かう。
目の前には
プールに入る前に
必ず立ちはだかる関門
消毒&シャワー。
これから一歩、踏み込むのだ。
そんな瞬間のイメージ。
シャワーを浴びるには
よしっ、いくぞ!
って気合いが必要です。
やっぱり根性いるわけですよ。
お湯 と 水 の違いは
明らかなわけです。
ちょっとだけ
グッ
と歯を食いしばって
よしっ
と気合いの言葉を口にして
水を浴びるわけです。
ビビリもあるわけで
初日の水シャワーは
・足の先から根元
・手の先から根元
・お腹
・心臓近く
・肩
・首
ようやく思い切って
・髪
って、感じに。
お手本のような
水の温度に身体を慣らすような
シャワーの浴び方をして
徐々に徐々に時間を掛けて
身体を慣らしながら
シャワーを浴びたわけです。
いうなれば
シャワー浴びるぞ と考えてから
シャワーを浴びる その行動までの
時間差がそこそこあったわけです。
ここまでは初日の話。
7日間の成長
その後、時は流れ
かれこれ水シャワー7日目。
1週間もすれば
人は慣れたものだ。
よしっ と心で叫んで
(口には出さず)
次の瞬間には
エイヤッと
頭から水シャワーを浴びている。
思考と行動の時差が
縮まってるわけだ。
この圧倒的な自らの成長に
ふと昨晩気付いてしまたt。
こうして人は成長していくのだ
と。
水シャワー成長の機会を頂いた事に
気付く事ができた。
そんな11月2日のお話。
さーて
今晩には水シャワー戻ってきてるかなー。
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