コンビニ人間 は読まれましたか?
Did you already read the book entitled “convenience-store human”
芥川賞 を受賞した、コンビニをテーマとした作品。
「普通へのアンチテーゼ」
そんなメッセージが私には浮かび
「普通」ってデタラメ。と感じました。
ところが立場変われば何とやら、です。
もし銭湯の番頭のお兄さんが「コンビニ人間」を読んだら
「コンビニ人間」がサラッと読めてしまい
でもって、なかなか面白い作品だし
サイン本だし
芥川賞作品 なので
これは読んで頂きたい、と
いつもお世話になりっぱなしの
銭湯 日の出湯(http://hinodeyu.com/)の
番台のお兄さん(田村さん)にお昼に渡しました。
すると、お兄さんは
夜には読み終えておりました。
で、こう聞きました。
KGY:どうでした?
と。
すると、田村さんは
田村さん:これ、接客本ですよね?
はい?!
何 言ってるのだ、この人は?
と、思ったんですが
改めて見返してみると、なるほど納得。
そういう表現もたくさんある。
例えば、冒頭のこんな箇所
チャリ、という微かな小銭の音に反応して振り向き、レジのほうへと視線をやる。掌やポケットの中で小銭を鳴らしている人は、煙草か新聞をさっと買って帰ろうとしている人が多いので、お金の音には敏感だ。
(中略)
ポケットの中の小銭を鳴らしていた男性が、ふと思いついたように胸ポケットに手を入れる。その仕草から、電子マネーで支払をするのだなと咄嗟に判断する。
「支払い、スイカで」
引用)コンビニ人間 P.4-5
なるほど、いかにも接客本だ。
さすが、接客業のプロの視点は違う。
かれこれ14年近く 銭湯業を営み
著作も持つ方なので
接客への想いの強さが違うのだろう。
確かに、いつも銭湯に行くと
ウダウダと私のくだらないお喋りに
お付き合い頂きながらも
お客様の動きからは目を離さない。
そしてタイミングよく声を掛ける。
「コンビニ」のように
マニュアル化はされてないにせよ
相手の雰囲気を読み取って対応している。
だからこそ
コンビニ人間が 接客本に見えた
のだろう。
状態が違えば、気付きも異なる。
人の「状態」によって、同じ経験でも
まったく異なって見える事がある。
人が違えば、感じ方が違って当然だ。
ただし、今回の解釈の違いについては
あまりにも 強烈な違いに ハッとした。
なんとも意外というか不思議な感覚だった。
人によって
見方が異なり、感じ方が異なり、気付きが異なる。
同じ経験をしても人によって異なる。
これは間違いないだろう。
「面白かった〜!」
の一言をとっても
人によって 面白いの度合いや基準が違い
そこから得られる気付きや経験は
まったく違うものといっていい。
イメージしやすい例をあげれば
同じ本を読み返した時。
以前とは違う箇所が引っ掛かる。
1年後に読み返してみると
「あれ、前に線引いてるけど、この事、忘れてたな。」
とかあったり。
「ここ、めっちゃいいのに以前 飛ばしてるわ。」
とか出てきませんか?
それは、
その時の自分の状態によって
気付きが異なるものだ。
経験してる人にとっては当たり前の感覚だろう。
こうした「気付き」の違いは
本だけに限った話ではない。
「意図」的に経験をしてみる
本を読むことも広く捉えれば
「経験」といえるが
「経験する時の状態」が与える影響は
非常に大きいように感じている。
当然、まったく同じ瞬間なんてのは
この世には存在しない。
しかし、その瞬間 瞬間で
必要な経験をし、経験から「気付き」を得る。
気付けなければ、それは繰り返し続ける。
朝 起きて、昼ご飯を食べて
仕事をして、人と出会って、、
実に多くの経験をしている。
「意図」の有無を問わず様々な経験をする。
気付かぬうちに多くの「経験」をする。
その「経験」の持つ意味に気付けるか?
これこそが大切だと感じている。
同じパターンを繰り返してるなぁ、と
気付けるかどうか、である。
まぁ大概、気付けず、繰り返す。笑
その「経験」をより深いものにするためには
「意図」を持つことが重要じゃないか、と
そんな事を最近は強く感じている。
なんとなく した経験と
意図的に仕掛けけた 経験。
きっと気付きの量も質も桁違いだろう。
そうして意図しながら
自分自身の経験・気付きの幅を広げていければ
さらに大きな経験・気付きができて
なんだか面白い世界にいけそうな気がする。
もし銭湯の番台のお兄さんが「コンビニ人間」を読んだら
「接客本になる」ように。
状態・立場・経験・意図が違えば
気付きが違ってくるのだ。
自分で コントロールできるのは
「意図」ではないだろうか。
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