Eco system is made up by the way of thinking.
農業は、素晴らしいエコシステムで
成り立っている。
その前提にあるのは 思想 。
自分の事だけ考えてたら
やっぱりダメなわけでして。
モロコシ畑にて
父「この草は牛が嫌がるから
ちゃんと避けてやってくれ。
ちょっと大変やけど。」
KGY「こちらが草を提供する側なら
仕分けまではやらんくていいんじゃね?
向こうでやるもんじゃないの?」
父「いや、牛が匂いが嫌で食わんのや。
かわいそうやし。」
KGY「お金もらってるわけじゃないんやし
余ったら余ったでそん時に
先方に避けてもらったらいいんじゃね?」
父「いや、堆肥をわけてもらっとるし
そういうわけにはいかんさ。
お互い様やで。」
KGY「んー、そういうもんか。
(おぉ、エコシステムや。)」
父が草を刈り、私がそれを軽トラに運ぶ。
そんな作業の最中のやりとり。
我が家のトウモロコシ畑(元 水田)にて
繰り広げた会話です。
自然と農業と。
さて、私は今 地元にいます。
岐阜県の下呂市という
東京の人からしたら
なかなか考えにくい
自然いっぱいの環境にいます。
こんなキレイな蛍がいたりします。
星もまた綺麗です。
英語でいえば
「Countryside」
つまり「田舎」です。
で、我が家は代々、農業もやってます。
昔は牛もやってましたが、今はいません。
今やってるのは、お米と少しの野菜。
で、今は実家にいて
ほん〜のちょっとだけですが
手伝いに巻き込まれたりしてますw
で、今 旬なのが
トウモロコシ 改め スイートコーン。
うちの父親が一生懸命に育てています。
色々なご縁があって
近くの高校の授業とコラボして
生徒たちが週1度手伝ってもらいつつ
スイートコーン栽培をしています。
で、今日 手伝ったのは
収穫を終えて不要となった
スイートコーンの草を刈り取る。
そんな作業をしてたのです。
私の背丈(約160cm)ほどの高さに伸び
既に実をつけ終えたスイートコーンの枝。
これから近所の牛舎に運ばれて
牛のエサとなっていくのです。
いわば、近所の牛のエサづくり。
そんな仕事をしていました。
そんな時の会話が冒頭のそれです。
エコシステム in 農業
こちとら、牛にエサをあげる
つまりは、譲るための作業なんだから
必要な事だけやって
後の判断・手間は先方任せでいいんじゃ?
と、考えた私に対して
うちの父親は
お互いに助け、助けられ、の関係
だから、やれることはこっちでやろう。
と、黙々と動いておりました。
なんだか、自分が情けない。
そう感じずにはいられませんでした。
そして 同時に
素晴らしい エコシステム なんだ、と
勉強になりました。
牛が食べてくれなかったら
トウモロコシの茎や葉は
どう処分するんだろう?
ってくらい量があります。
実際に今日 運んだだけでも
軽トラックの荷台 山盛り。
これが、全体の40分の1くらい。
とんでもない量があるのです。
牛が食べてくれるだけで
随分と助かるのです。
食べてくれなかったら
なかなか腐らないらしいけど
腐るまでなんとかするのか
粉々に砕いてなんとか再利用するのか?
なんて具合に処分方法に困るのです。
だから、牛が食べてくれる。
これは非常にありがたい話なのです。
確かに茎や葉を刈って
運ぶのは手間が掛かるけど
それで処分に掛かる手間が省けています。
そして牛を飼っている相手方としては
牛のエサの手配が不要になる。
エサ代と手間がカットできる。
そんなメリットが生じます。
で、うちとしては
堆肥づくりに協力頂いているのです。
堆肥とは、
牛の糞や藁を混ぜてつくる有機肥料。
これを頂いているのです。
交換条件というわけではありませんが
「相互支援」がここで成り立つのです。
なんという素晴らしい事でしょう。
このエコシステム。
自分の事ばかり考えていては
成り立たないのです。
これって、別に農業だけじゃない。
世の中、すべてがそうですよね?
自分のことばかり考えてたら
成り立たないですよね?
相手の事も思いやって
相互に助け合う。
そんな思想って大切。
宇宙兄弟見てても
狭い宇宙船の中を考えれば
自分の事しか考えてないやつは
選ばれませんw
エコシステムの前提にあるのは
そういった 思想の問題 かと。
で、ふと
仮にこの家の方が牛の飼育をやめたら?
と、考えてしまいました。
困る人がたくさん出てきそうです。
そうなったら、今のエコシステムは
どこかで崩れてしまうでしょう。。
飛騨で生活をしつつ
この思想に気付かされました。
成長とか常に追い求めるけども
それだけじゃあかんな、と。
なんか、幸せじゃないな、と。
相手の事も考えて動かんと。
選挙とか見てても思います。
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