3月2日は農民の日で祝日。
確かに、ミャンマーは
その農民が人口の半分以上を占め
農民の存在なくては成り立たない国。
それでも「農民の日」との祝日があるのは
どうも引っかるわけです。
そこで、どんな祝日なのか?
調べてみました。
「農民の日」の祝日とは?
ミャンマーでは
毎年3月2日が農民の日、祝日です。
農民の日がはじめて祝われたのは
1963年の1月1日。
(ネ・ウィン政権 移行後)
その後、1965年から
農民の祝日は3月2日へと変更になっています。
※3月2日の意味は後述。
その意味合い・目的としては
農業・農民がミャンマーに貢献していることを記念し
農業・農民を敬うための祝日です。
というのも
ミャンマーでは国民の約7割が農業に従事。
(今は若干、変わっているかと。)
近年では、特定の作物に依存しないよう
国内で栽培される作物も多様化していますが
主な農作物は「米」で
アジア最大規模の米の輸出国の1つでもあります。
ミャンマーの国家の繁栄と成功は
GDPの6割を超える農業から生じており
農業に従事する人の貢献あってこそ。
だから農民の日を祝日として祝う。
そうした経緯のようです。
が、それほど
シンプルな理由だけではなさそうです。
3月2日は、ネ・ウィン政権誕生日
ちなみに
3月2日 という日付は
1962年に、ネ・ウィン氏が率いて
軍事クーデターを決行した日でもあります。
これを機に、軍事主導の政権が
一連の社会主義改革をはじめ、
その体制は2011年まで続きました。
そもそも、ネ・ウィン氏とは?
って感じの方もいるかと思います。
ネ・ウィン氏は1911年5月生まれ。
政治家であり、軍人。
1941年2月に
アウンサン率いる青年活動家グループ
「30人の志士」の一人として海南島で
南機関から日本軍による過酷な軍事訓練を受けた。
(日本とのつながりがあった。)
暫定政権時の1958年〜1960年
には、4代目の首相を務めました。
クーデターを決行し、
1962年〜1974年 には
6代目の首相を務めました。
1962年〜1988年の間
実質的に国のトップの座に君臨していました。
ネ・ウィン政権は
1962年の軍事クーデター以来
1988年8月8日の民主化デモまで26年続き、
ネ・ウィン統治下のミャンマーでは
多くの改革が実施されました。
ネ・ウィン氏自身、
1962年にビルマ社会主義計画党を創設。
1988年まで 会長 兼 議長 を務めており
26年間の永きにわたって
ビルマの軍事指導者でした。
ネ・ウィン政権の政策とは?
ビルマ式社会主義を押し進め、
州立病院の施設が建設され
州立病院の治療費を無料にするなどの制度も
導入されました。
また新たな公教育制度も導入し、
1965年からは
読み書きのできない人をゼロにしようとの
キャンペーンが実施されました。
ミャンマーの識字率が高いのは
ネ・ウィン政権の影響も大きいのかと。
1962〜1965年にかけては
地主と高利貸しに関する重要法案を採択。
土地や財産に関する農民の権利を保護し、
土地を借りる際の土地賃料を廃止する法律も
含まれていました。
農民の権利保護にも積極的であった、と
いえるかもしれません。
だからこそ(?)農民の日を制定し
祝日として祝ったようです。
元々華僑系だったにもかかわらず
華人排斥運動を展開し、
約10万人の中国人がビルマから離れた
とも言われています。
まさに独裁政権 といったような
政策を展開したいたように思えますし、
そういった見られ方をしています。
引退後もかなり力を握っていた、と
そんな事を言われていますしね。
その他、こぼれ話として
・6回結婚している。
・国民の前には年2回しか登場せず。
との情報もありました。
とはいえ、歴史を見ていると
自分の人生の記念日を後世にも残すため
3月2日を祝日にしたっぽいですが、、、
実際は、どうなんでしょうかね。
兎にも角にも
3月2日は、農民の日で祝日です。
2018年は
3月1日が、満月の日だったので
土日も合わせて4連休でした。
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