大谷 投打二刀流
「野球評論家の言葉から見える日本人的発想」
「大手新聞報道から見えるアメリカ人的発想」
ここに日本の限界を感じた話。
なんだか、寂しさを感じました。
ルールに従う発想から脱しないと。
大谷翔平が半端ない!
投げて2連勝。
打てば3試合連続ホームラン。
「この人は一体どこまでいくんだろうか?」
ポテンシャルの大きさを
感じさせてくれるニュースが飛び交う。
日本、アメリカが騒いでいる。
純粋にすごい、と感じる。
その成績に対して
元プロ野球選手もコメントを求められ
冷静なコメントをしている人も。
「30試合は見ないとわからない」
私自身も、そこはよくわかる。
まだ、はじまって数週間。
試合数も少ないし、対策もされてない。
だから
ある意味「まぐれ」かもしれない。
めちゃくちゃ調子がいい、のかもしれない。
当然、大谷自身がピークに持っていくべく
調整した部分もあるだろう。
テレビで報道されていたが
日ハム(栗山監督)からエンゼルスには
過去5年分の大谷に関する
データ・調整方法の情報が渡っている、らしい。
こうした 過去5年の蓄積を元に
調整した成果や起用法による影響も
大きいのではないか、と思う。
その情報を渡す日ハムは素晴らしい。
とはいえ、である。
それにしても凄すぎる。
強者揃いのメジャーリーグで
3ホームランに、2勝である。
半端ない。
同じ日本人として、喜ばしい。
ただただ手放しで嬉しい。
アメリカの報道も
大谷を応援する方に変わっている。
日本の報道もほとんどがそうだ。
しかし、そんな中で
ある野球評論家の一言が炎上中だ。
ここに
日本 と アメリカ の違い、を
大きく感じたので、シェアしておきたい。
私は アメリカ的な考え方が好きだ。
すべての日本人 と すべてのアメリカ人
と、いいたいわけではない。
当然、個人差はある。
それでも、なんか発想が小さいな
というか、寂しいな、と思ってしまった。
「規定に満たない」からダメという日本人
それがこちらの記事だ。
大谷2連勝、3戦連発でも二刀流が成功しない理由 江本孟紀「私の成績すら超えられない」
https://dot.asahi.com/dot/2018040900015.html?page=1
By AERA dot.
そもそも、利用者の利便性よりも
広告主へのPRのために、
大して長くもない記事を3ページに分け
PV数を3稼ごう との精神が嫌だが
それは、ここでは関係ない話。
書いた記者的には、炎上してアクセスが増えて成功。
社内的には「よくやった!」
って話であろうけれど、
なんか格を下げた感が否めない。
その内容は、タイトルにある通りだが、、、
『二刀流』の成功基準をどこに置くのか。
基準が低すぎる。
と語り
2打席連続でホームランを打ったこともある。
と、自慢話も入る。
ちなみに、江本氏の現役通算ホームランは7本。
シーズン最多は4本。(参照先 こちら)
ご自身の語る通り、毎試合3打席、打席に入って、である。
そして、その後に続くのが
規定投球回 規定打席 の話だ。
一流選手の証である1シーズン200イニングも無理。
私は、現役時代に6年連続200イニングを投げました。
と、続き、また自慢が入る。
もちろん、打者としても、投手としても才能は超一流
と、フォローはしながらも
私の記録すら抜けないんですから。
みなさんの“記憶”には残るでしょうが。
たしかに二刀流は、ファンを喜ばせるし、球団としては
興行として儲かる。しかし、プロの目から見たらそれは
たんなる「見世物」でしかありません。
と、評論家らしいコメントを。
私たちは、成績はシーズンのトータルで見て評価します。
でも、ファンはその一瞬一瞬を喜ぶから、どうしても
私たちと選手を評価する時の価値観が違う。
それは両者の埋めようのない差なんです。
それでもファンが求めるなら、
もうしょうがないんじゃないでしょうか。
ここまで来たら、
本人が好きなようにやればいいと思っています。
私としては、これほど才能のある選手なのに、
ファンやメディア、球団から見世物にされてしまって、
「もったいないなあ」と思っているだけなんですけどね。
と、インタビューを締めくくる。
プロ野球の成績・記録を重視していれば
きっとこうなるのだろう。
しかし、野球の楽しさを伝える。
野球ファンを増やす。
その意味からいけば
彼の言う「見世物」でも十分ではないか
と思うわけである。
「プロ野球で活躍する」というのは
タイトルを獲得することだけ なのだろうか?
なんだか、コメントに寂しさを感じる。
(書き手が悪いのかもしれないが)
評論家だから、仕方ないのだろうけどさ。
そもそも、定義によるだろう。
大谷だって、アホじゃないから
タイトル狙いなら、どっちかに絞るだろう。
その選択をしていない意図を汲み取ろう。
「規定に達しない」から新ルールを提案するアメリカ
ここでアメリカのワシントン・ポストの報道を
少し紹介したい、と思う。
https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180410/spo1804100007-n2.html
どこまでが本気で、冗談か、はわからないが
大谷は二刀流であることから規定打席に達せず、
登板回数も限られる。全米野球記者協会は、
MVP部門で100年ぶりの二刀流をどう評価するのが
妥当なのか、新たな算定法の作成を迫られるかもしれない
と、記しているわけだ。
アメリカでは、大谷はこのままだと
規定打席にも、規定投球回にも達しない。
ここまでは、江本氏と同じことを述べている。
しかし、そこからの展開がまったく違う。
「どちらかを選べ」ではなく
評価のルールを変えるべきではないか
と。
これだけの影響を与える人物で
メジャーリーグを盛り上げてくれる人物がいる。
それを受け入れるためにも
新たなルールを導入してみてはどうか?と。
この発想って
どうしても日本人は苦手。
ルールに従う国 と ルールをつくる国。
大谷の活躍に対する報道の中で
あまりにも気になったので執筆してみた。
このちょっとした発想の違いが
世界を動かす中心になるのか
世界を動かす歯車になるのか
大きく分けるように感じた。
事実は事実として認める。
しかし、その解決策の発想は
もっと広げられるのかもしれない。
国とか大きな話ではなく
自分自身の行動1つ取っても
それは同じではないだろうか。
「ルールを疑う」
この発想、忘れがちですよね。
ルールに従う事は時には大事だ。
そのことはよくわかる。
しかし、そのルールが
本当に正しいのか?
今の時代に合っているのか?
そこと向き合う事も必要だ。
私は、ルールを疑う方でありたい。
コメントを残す