高校の恩師 と 約10年振りに再会。
お邪魔してあれこれ語ってたら
3時間以上が経過していました。
楽しい時間をありがとうございました!
なんと、その中で
ミャンマーの首都「ネピドー」が
存在しない地図に遭遇しました。。
飛騨で、外へ出かけてみた
実家におりました。
2泊3日の短期滞在でしたが
案の定、束の間でした。
てのも、これまでの帰省は
1ヶ月 とか
10日間 とか
そんな単位だったので
2泊3日は早過ぎました。
しかもそのうちの1日は
1歩も家から出なかったので
あっという間でした。
到着日はさておき
2日目に
1歩も外に出てないのは
さすがにやばいだろ。
ってことで
滞在3日目は
意を決して
「外へ出よう!」
と決めて
買い物に出かけました。
ヤンゴンに持ち帰るものの
買い出しへ、と。
買うものは
いくつかあったのですが
それらはひとしきり揃えつつ
懐かしのスポット巡り。
昔、よく行った
ショッピングモール(?)
「バロー」を訪問すると、、、
フードコートが
もはやフードコートではなく
1店舗しか残ってませんでした。
わかる人にはわかる光景。
スガキヤのみ。
昔は たこ焼きが上にのった
「たこうどん」を
食べられたのに、、、
もう食べられないようです。。
そして
数日前に、宗教 の話が登場し
話題にのぼったので
あえて訪問してみました。
この金の屋根の宗教施設は
超立派で、超巨大です。
外国人の3人組が見学してました。
私は、さすがに
中に入る度胸はありませんでした。
高校時代の恩師と約10年振りの再会
買い物の合間に
ふと思い出して
高校時代の恩師に電話。
今は、どうやら何か
変わったことをしてるらしい、と
そんな情報があったので
久々に電話してみたのです。
高校時代の先生だったのですが
教員を退職して
現在は福井大学にいる
そんな話を聞いていました。
なんか面白そうだな、と
なんとなく感じていたので
連絡してみたところ
ちょうど飛騨にいたようで
「せっかくだから
時間あるならおいで」
と、言われたので
先生の自宅を訪問して来ました。
まぁ高校時代から
なかなか不思議な先生でした。
が、やはり
不思議な世界へと
突き進んでいました。笑
50歳を超えてから
大学院の博士課程へ。
研究を掘り進め
58歳で大学へ転職。
なんとも不思議な人生。
そして楽しそうでした!
これから
日本の試験制度が変わる中で
何か重要な役割を果たすかも?
そんな研究を続けているようで
なんともイキイキされてました。
私も卒業してから
あれこれと動きがありました。
先生も動きがありました。
ってなわけで
なんだかんだで
お互いのこれまでを
話していたら
あっという間に3時間以上が経過。
随分と長居をしてしまいました。
2003年の地図にはない、今のミャンマーの首都
そんな中で
ふと出てきたミャンマーネタで
面白かったのがこちら。
先生は地理も教えていたので
地理的な位置関係に興味津々。
緯度は?
なんて言いながら
地図帳を持ち出してきたのが
「地図帳」
※上記のは最新版ですが、、、
で、地図帳を見てみると、、、
首都マークの赤い印は
ヤンゴンの部分に。
首都、遷移前の地図。
そして
中央部にあるはずの
ミャンマーの首都 ネピドー が
存在しておりません。
名前すらありません。
そうなんですよね。
2006年に遷都なのです。
この見せてもらった地図帳は
「平成15年(=2003年)の地図帳」
2003年の世界地図では
首都は ヤンゴンなのです。
ネピドー近辺としては
ピンマナ の名前が!
こうして
世界地図を眺めた事で
改めてその事実を認識し
なんとも不思議な気分。
ちなみに
新しい地図帳では
しっかり「ネピドー」は
存在していました。
国や歴史がつくられることを
改めて感じた次第。
今は「ミャンマー」といえば
多くの人が
名前を知っていて
「最後のフロンティアでしょ?」
「日系企業の進出すごいんでしょ?」
と認識されはじめている国ですが
以前は ほぼ触れられなかった国。
5年前とは
大きく変わった国の1つでしょう。
もっといえば
小さい頃は「ビルマ」でしたから。
もっと古い地図帳に遡れば
「ビルマ」表記が
見つかるんでしょうね。
それにしても
ネピドーの存在しない世界地図。
なんとも
不思議なご縁で巡り会えました。
これから
まだまだ変わっていきそうな
ミャンマーとは
まだまだしばらく関わり続けそうです。
今のところは。笑
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