ふと、この本を読んでいて
思い出した事があった。
この本の中で
ある鮨 職人さんが
「体調を崩した話」
について、触れていた。
そこで「振り切れた」と。
私が体調を崩した話
ふと、自分の人生を
思い返してみると
およそ2年前 の 2016年2月。
私は、体調を崩した。
おかげで、時間の使い方について
見直すきっかけにもなり
それが実家滞在を長くした。
厳密には
体調不良 と 突発性難聴 とが
なんだかんだと重なって
何も食べない生活をしたら
そこから 軽い記憶障害?
も併発して
体重は、48キロまで落ちて
友人によって強制送還してもらった。
当時のブログ
飛騨で普段通りの生活を送ってます。ただ違うのは「薬」を飲んでる、ただそれだけです。
そして 日本に戻る事となり
実家で1ヶ月 のんびり過ごし回復。
その後、東京で2ヶ月半過ごし
お遍路さんをグルリと回り
また実家で1ヶ月 のんびり。
そこから
ラオス、ブータン、インド、ネパールを
約1ヶ月半で巡る旅をした。
その後、縁があってミャンマー入り。
2016年2月半ば〜9月半ばまで
たったの7ヶ月。
とりわけ
突発性難聴からはじまった体調不良。
この期間は、私の人生に
強烈に効いているように思う。
療養を目的とした実家滞在と
資金ショートによる実家滞在wの
合計2ヶ月の実家滞在が
めちゃくちゃ心地よく
同時に、色々と思うことがあ
実家滞在を増やしておかないと
後悔することになりそうだ、と
強く感じた。
そして
年末年始は実家で過ごそう。
と、考えるようにもなった。
平均 実家滞在日数の推移
大学から一人暮らしをはじめたが
年末年始とお盆は 基本 実家で過ごした。
実家が大好きだから、だ。
それは社会人になってからも
ほとんど変わることなく
年末年始は、飛騨で過ごした。
ミャンマーに行ってからも同じだった。
むしろ
ミャンマーに行ってからの方が
実家で過ごす時間が増えた。
せっかく日本に帰って来たのだし、
と考えて、実家に行くようになった。
東京に住んでいた頃は、
いつでも帰れるから、と思ったり
その他の誘惑(遊びとか)が多すぎて
年末年始と盆休みくらいしか
帰る事がなかった。
冷静に年間の実家滞在日数の平均
をざっくり計算してみると
大学時代:45日(1ヶ月半)
社会人(金沢):14日(約 2週間)
社会人(東京):7日(約 1週間)
ミャンマー(会社員):10日(1〜2週間)
ミャンマー(フリー):60日(2ヶ月超)
てな感じだ。
大学時代は、休みは長いけど
部活をやっていたので
ずっと実家滞在ではなかった。
そもそも休みが長いので
それでも合計で1.5ヶ月ほどかと。
社会人になってから
金沢にいると、実家まで車で3時間。
気合を入れれば
仕事後に実家に帰省もできたので
3連休とかで帰ることもあった。
しかし、土日働いてた日もあり
後半は、コミュニティもできて
テニスやボードなんかもしてたので
合計で 2週間ほどの滞在だったかと。
東京に行ってからは
距離が遠くなり
またそれ以上に誘惑が増えて
実家への帰省はガクッと減った。
夏休みに海外旅行へ行った年
なんかもあり
滞在は1週間ほどになった。
たぶん、この頃が最短滞在期。
そしてミャンマーへ渡航して
1年目は、帰国機会も多くて
実家に帰省もさせてもらった。
結果的に
「日本のサラリーマン時代よりも
長く実家に滞在できてる!」
なんて思った記憶がある。
2年目は、そうもいかなかったので
平均すると1〜2週間の滞在。
そして
フリーランスになってすぐ
体調を崩した事もあって
フリー1年目は
2ヶ月以上、実家に滞在した。
フリー2年目は
意図的に、実家滞在期間を設け
3月、4月、9月、12月で
合計 2ヶ月分ほど実家に滞在。
とりわけ
3月と12月は、ほぼ1ヶ月
意図的に 自分で時間を設けて
実家に滞在した。
実家で両親と家族と時間を過ごす。
このかけがえのない時間を
大切にしよう、と考えているし
だからこそ、意図的に帰省する。
ミャンマーの人達が
家族を大切にしている事に
影響を受けているのもあるだろう。
自由とスペースを大切に
私は今、フリーランスとして
生活をしている。
どこにも属さずに
比較的、自由度高く生きている。
「自由 過ぎるわ!」
と、言われる事もあるが
それをモットーとしている。
せっかくフリーランスなのに
あれも、これも、とやって
「これぞ!」って事に
時間を注げないのは、嫌だ。
まだ 色んな可能性を模索中の段階だ。
とはいえ
ずっとフリーランスでいる気はない。
一方で
フリーランスとして忙しくなりすぎて
結果として
サラリーマンと同じような生活を送る
なんてのは、絶対に嫌だ。
フリーランスの仮面を被った
雇われサラリーマンみたいなのは
絶対に、絶対に嫌だ。
その意味では
幾ら 魅力的なオファーを貰おうが
現時点では、どこかに属する気もないし
誰かに、従うような事はしたくない。
これまでお世話になってきた
お客さんが相手でも
主従関係になるようなら
その仕事はこちらからお断りだ。
正直
「そんなんしたら次がないかも、、、」
と、怖くもなる。
でも、そこで
相手に従うような事になったら
それこそ
自分の生き方に嘘をつくことになる。
そんなのは嫌だから
ちゃんと主張はする。
その分、こちらとしても
やることはやる。
そのスタンスで
一緒にできるならやっていく。
できないなら、やめる。
ただ、それだけだ。
色々とモヤモヤする事もあるけど
きっと、何かをやめて
新たなスペース(空間)が生まれれば
また新しいものが入ってくる。
あまりに、空いたままだと
あれもこれも、詰めたくなるけど
それをやった瞬間に
次なるものは入って来なくなるし
ある意味では我慢も必要だ。
日本のサラリーマンが典型だ。
始発から終電まで働いて
土日も働いていたとしたら
残業代含めてお金は入って来ても
出会いもなければ
ゆっくり休む暇もない。
スペースがないってのは
そういうものである。
朝から晩まで
1つの会社のために奉仕していたら
他のことはできなくなるものだ。
私は、もうそこからは
完全にハミ出した。
ミャンマーに出てハミ出し
フリーランスになってからは
さらに大きくハミ出した。
そして
突発性難聴を経て
もっと大きくハミ出した。
で、今に至るわけである。
ま、世の中には
しがらみ とか 忖度 とか
談合 とか 色々とある。
人間社会で生きていく以上
完全に無視はできない。
悔しさはある。
でも、それでもいい。
スペースが生まれれば
必ず次が入ってくる。
必ず、必ず、必ず、入ってくる。
その事は、これまでの人生を通じて
強く感じているし、間違いない。
だから
そんなに焦らなくてもいいや。
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