ミャンマーは
1月4日が独立記念日で祝日。
こちらが、独立記念塔です。
ふと、気になって
ちょっとばかり
ミャンマー独立の歴史を調べてみました。
キーワードは
イギリス、日本、アウンサン将軍。
10秒で知る、ミャンマー独立の歴史
ミャンマーは
「ビルマ連邦」として
1948年1月4日に
イギリスから独立を宣言。
1948年なので
第2次世界大戦後。
60年超のイギリスの支配から
完全独立を果たしました。
独立時の英語名称は Union of Burma。
日本語でいえば ビルマ連邦。
2018年は
独立70年目の節目。
これが、超ザックリ
独立記念日の歴史です。
その裏には
日本、アウンサン将軍、イギリス
が登場してきます。
もう少し詳しく見ていきましょう。
詳しいミャンマー独立の歴史
ミャンマー(当時 ビルマ)は
1824年から1885年まで
60年以上続いた、3度の英緬戦争の後
1886年から(1948年まで)
イギリス領インドに併合され
その統治下に置かれていました。
独立前の 10年は
バタバタと動きがあったものの
それまでの60年近く
ずーっと、イギリス領でした。
独立の1948年から遡る事11年。
1937年4月1日に
長く続いたイギリス領インドからの
独立を果たし
イギリス連邦内の自治領へ。
バー・モウ氏が初代首相に就任。
しかし、完全な独立ではなく
あくまでもイギリス連邦内。
第2次世界大戦にも巻き込まれます。
1942年、日本軍がミャンマーに進軍。
建国の父として国民から愛され
反英派 アウンサン将軍が率いる
ビルマ独立義勇軍は日本軍に力を貸し
共にイギリス軍を駆逐。
1943年、日本の支援を受けて
バー・モウ氏を国家元首とした
ビルマ国が建国されました。
実際には、主権は日本にあり
完全独立ではなかったとか。
しかし、
イギリスからは独立。
しかし、1944年
インパール作戦失敗など
日本の敗色が濃厚であると見るや
アウンサン将軍は
イギリス側に鞍替え。
1944年8月の独立1周年の日には
「(日本軍による)ビルマ独立はまやかしだ」と発言。
その後、1945年3月には
ビルマ国政府に対して
クーデターを起こし
イギリス側に寝返り。
日本に勝利したものの
イギリスは独立を許さず
再び、ビルマは再びイギリス領に。
しかしその後も、アウンサン将軍は
完全独立を目指して活動を続けます。
そして、1947年1月27日、
英国首相クレメント・アトリーと
「1年以内の完全独立を約束する
アウンサン=アトリー協定」に調印。
その後、アウンサン将軍は
少数民族のリーダー達と
ビルマ独立に向けた連携・協力を促す
「パンロン合意」締結を果たします。
また、完全独立に向け
イギリスとの交渉にも臨んでいました。
しかし、悲劇は起きます。
独立まで半年に迫った
1947年7月19日。
6人の閣僚仲間と共に
32歳の若さで暗殺されてしまいます。
暗殺犯は、政敵であった
ウー・ソオ一味とする説が濃厚ながら
イギリス政府が黒幕との説もあります。
※なお、ウーソオ氏は
政府に逮捕され 1948年に死刑。
独立したミャンマーを見ることなく
アウンサン将軍は、死亡。
その後、アウンサン将軍が
取り付けた約束に従い、
1948年1月4日
ミャンマーは
ビルマ連邦として独立を果たします。
初代大統領はサオシュエタイ氏。
初代首相はヌー氏。
他の英国植民とは異なり
イギリス連邦には属さない形で独立。
※コモンウェルスではない
こうして
ミャンマーは完全独立を果たしたのです。
独立に歴史あり。坂本龍馬と重なる。
そんな独立の記念日が
1948年1月4日。
それ以来、
ミャンマーでは1月4日が
独立記念日として
祝日になっています。
調べていればいるほど
色んな事が気になってしまいました。
現在、ミャンマーの国家顧問を務める
アウンサンスーチー氏の父である
アウンサン将軍の歴史にも
ちょっとばかり触れました。
独立に向けて
活動したアウンサン将軍の存在。
60年近くに及んだ
イギリスの支配から脱却に
少なからぬ影響を与えた日本の存在。
なんだか、色んな事を思いました。
今となっては
亡くなってしまった
アウンサン将軍が、
どんな想いで
イギリスに寝返ったのか、も
わかりません。
当時の色んな空気が影響していたのでしょう。
それにしても
32歳の若さで国造りに動き回り
完全独立を大きく後押し。
とんでもないものです。
そして32歳で暗殺。
ふと
坂本龍馬と重なる部分を感じました。
坂本龍馬は 享年31歳で
大政奉還成立の1ヶ月前に
近江屋事件で暗殺されている。
若くして活躍するも
成果を見届けられず
30代前半で暗殺。
見事に重なります。
なんとも不思議な感覚を覚えました。
ミャンマーにいながら
なんとなく「独立記念日」とか
「祝日だ」とか言うてました。
しかし、こうして歴史を見ると
色々と気になる事が出てきました。
ちゃんと、知っていこう。
そして情報発信をしていこう。
もし間違いがあったら
ご指摘いただければ、幸いです。
こちらは
マハバンドゥーラ公園の独立記念塔。
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