Grab に乗っていたら
ドライバーに電話が掛かってきて
聞き耳を立てていたら、、、
なんだか ちょっと 切なくなり
「資本主義 が 人間関係を壊す?」
なんてことを感じたので
あえて、それを記しておこうかと。
Grabで移動が便利に
基本的に、移動時はGrab。
ここ、ヤンゴンでは
タクシー配車アプリ が
めちゃくちゃ便利になって
ずーっと使っています。
1年前までは、
交渉してタクシーに乗っていたのが
嘘のように、Grab漬けです。
先ほども
忘れ物をしたことに気付き
昨日、乗ったドライバーに
すぐに電話できて
あっという間に解決。
(結果的には家にありましたが。苦笑)
女性の夜の移動は
安全確保のためにも
絶対 に Grab。
と、言い張ってますが
本当、Grabは便利です。
ドライバーにとっても
「交渉しなくていいから」
「効率的にお客さんが見つかるから」
と、いった理由で
Grab は 好評っぽい雰囲気。
今はプロモーションとかもあり
ユーザーもドライバーも
その恩恵を受けているから
というのも大きいでしょう。
とりわけ、私はヘビーユーザーで
Platinum という
Grabの最高ランクカスタマーなので
プロモーションコードの利用回数が
他のランクの人に比べて多くて
更に、利用が強化されています。
Silver や Gold だと
プロモーションコードの利用が
10回 なのに対して
Platinum は 20回。
この時期は
割引率もちょっと違いました。
本当に、便利です。
文字通り、Grabは
生活を変えてくれました。
その意味では
大きく感謝です。
ドライバーの会話から
しかし、ふと
ドライバーの電話越しの会話から
あることを思ったのです。
Grabが人の絆を
薄めているのではないか?
と。
今、タクシーに乗ったところ
友達? 近所の人?
誰かしらの知人っぽい人から
ドライバーに
電話が掛かってきました。
なんとなく
聴いていると
電話の向こうの人
「今、どこにいるの?」
ドライバー
「今、お客さん乗せてて
シュエゴンダインに向かってる」
電話の向こうの人
「空いてる時間に
○○に行きたいんだけれど」
ドライバー
「日中はGrabでいっぱいだよ。苦笑」
的な会話を
していたような気がするんです。
そこで、ふと思ったわけです。
タクシーを持っている人が
近所に住んでいる
ってのは
実はすごい大きな事
なのではないか、と。
日本とは違って
ミャンマーだと
車がない人がほとんど。
だから
車とかバイクのある人が頼られる。
田舎にいけば、
その傾向はより顕著です。
そんなミャンマーにおいて
近所のタクシードライバーは
困った時に助けてくれる人
なのではないか、と。
「ちょっと体調が悪いから病院へ行きたい。」
そんな時に
近所のタクシードライバーにお願いする。
家から車までの移動も助けてくれて
車から病院までの移動も助けてくれる。
「ちょっと大きいものを買いたい。」
そんな時に
近所のタクシードライバーにお願いする。
大きなものを車に運び込むのに
待っていてくれる。
「ちょっと重いものを運びたい。」
そんな時に
近所のタクシードライバーにお願いする。
重いものを運ぶのを
ドライバーさんが手伝ってくれる。
そんな世界があったのではないだろうか?
そう感じたわけです。
資本主義 の 裏側 で
それが Grab という
ある意味
資本主義の代表格が
入ってきたことで
「人の絆 より お金」
と、なってしまう人が
少しばかり
増えてるんじゃなかろうか。
今後、さらに
増えていくんじゃなかろうか。
なんだかそんなことを
タクシー移動しながら
感じたわけです。
A地点からB地点に移動する。
ただそれだけなら
Grabは、超便利です。
本当に、超超超便利です。
そして安全対策とか考えても
バッチリです。
効率面を考えれば文句なしです。
しかし
「待っていて欲しい」とか
「ちょっと手伝って欲しい」とか
そういった時には
ちょっと不十分です。
「そういうサービスじゃないよ。」
「それを期待するなら他を。」
と、いわれれば
その一言なのですが、、、
なんだかちょっとばかり
資本主義が人間関係を壊す。
みたいな瞬間に触れ
寂しさを覚えつつ
「合理的に考えたら
仕方ないよね」
と、思った出来事だったので
ブログに書き留めておきました。
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