今朝、ふとした会話の中で
母親が
「コロナの影響で暇になりつつある」
と、口にしていた。
(母親はずーっと茶道の先生もしている)
私「どんな影響あんの?」
母「茶道は対面だし、生徒さんも気にしてて。」
私「必要不可欠でもないからってこと?」
母「不要ってのとは違うと思うんやけどなぁ」
私「それは、なんかわかる気がする。
不要不急ではないかもしれんけど
茶道を必要としてる人はいる。」
こんな会話をした直後
言語化しておきたい、と思い
パパっとメモをした。
2種類の「やっていること」
そんな話を書いてみたい。
「やっていたこと」は大きく
2種類に分かれる。
・やりたくて やっていたこと
→ できなくて辛い
・やらなきゃいけなくて やっていたこと
→ できなくて嬉しい
ここんとこが
制限されたことで浮き彫りになっている
のではなかろうか?と。
今のタイミングは
世界中で自粛モード。
外出できなかったり
これまでと違う時間の使い方をして
これまでと違う生活を送っている人が多い。
そんなタイミングだからこそ
「やってきたこと」
「やっていたこと」
「やり続けてきたこと」
と向き合う絶好の機会
なのではないだろうか?と。
真の成果主義社会へ ようこそ
最近、周囲で
「コロナ後」なんて言葉を
耳にする事が増えている。
ワードとしては
「アフター・コロナ」
「ウィズ・コロナ」
みたいなワード。
一度は聴いたこともあるだろう。
いかにコロナを乗り越えるか?
いかにコロナと付き合うのか?
そんなところに
人々の興味関心が向きはじめている。
いつかは、きっと
そういう時期が来る。
まだ読めないけれども。
コロナ による影響は
なかなかコントロールできない。
例えば、ミャンマー戻るにしても
・飛行機は航空会社の判断だし
・ビザは各国の判断だ。
私にはコントロールできない。
あの時、日本がああしていれば
みたいな事言ってても仕方ない。
だから、どうしようもないことを
あーだこーだ言ってるよりは
「今を見つめ」てみたり
「先の事を考える」方が
圧倒的に意味がある。
世にいう 建設的な議論 ってやつだ。
私個人として
・人々の価値観の変容
・世の中の変化
・会社のあり方の変化
など色んな事に思いを巡らせている。
色んな方が口にしているが
リモートワークが当たり前になったことで
気付かぬうちに
日本のサラリーマン達は
“本当の 成果主義社会” に突入した。
これまでの
カタチだけの成果主義でなく
真の成果主義社会に
足を踏み入れている。
気付いていただろうか?
これまでは
会社にいるだけで評価される
そんな謎の世界観が
地味に残っていたように思う。
多くの日本人にとっては
当たり前なんだけれど
・遅刻をしない。
・みんなより早く出社。
・会議に出席。
・残業。
みたいなものが
会社や業種によっては
成果と同じか
それ以上に評価されてきた。
ところが、リモート・ワークだと
目の前に座っているかどうかが見えない。
何時に起きているのか
出社時間も残業時間も見えない。
つまり
求められるのは「成果」だけだ。
朝礼や何かのカタチ等で
出勤管理をしてるかもだが
24時間カメラ監視でもない限り
管理は不可能に近い。
(私は、反・管理経営派です。)
リモートに移行したことで
突然にして
成果主義の世界に放り込まれたのだ。
もっといえば 会社によっては
これまで
成果 を曖昧にしてきたことが
露呈してしまったケース
なんかあるのではないだろうか。
これまでのように
会議に参加していた、とかじゃなく
何時間働いていたか、ではなく
「何をやったか」「どう成果に繋がるか」
が求められる。
超 シビアな世界に移行しつつあるのだ。
それが、
今 みんなが足を踏み入れている世界だ。
ようこそ、真の成果主義社会へ
って感じだろうか。
あなたにとっての「会社」とは?
そして同時に
いわゆる「会社員」や「経営者」からすると
「会社の捉え方」も変わりつつある
のではないだろう?
多くのサラリーマンが、
数週間、数ヶ月前までは
何も考えることなく
当たり前のように
平日は毎日「会社」に通っていた。
そして「会社」から給料を貰っていた。
それが、ある日を境にして
いきなり「会社」に行く必要がなくなった。
しんどい想いをしながら
1時間の通勤をする必要がなくなった。
会社に行っていれば
毎週やっていた
定例会議がなくなったり
減ったりしているかもしれない。
これまで「会社」への通勤にあてていた
1時間分
ゆっくり眠ることもできれば
ゆっくり家族と過ごすこともできるし
朝から丁寧に珈琲を淹れる事もできる。
もちろん、仕事をすることも可能だ。
こんな感じで
これまで当たり前だった
「会社」が当たり前でなくなっている。
「会社」に行かなくても
「会社」からお金が貰える。
何が起きてるんだ?
どうしたらいいだろう?
と、考えている人はまだマシだ。
ラッキー!
と 思考停止してる人はヤバい。
なぜ「会社」があるのか?
「会社」が給料をくれるのはなぜか?
「会社」のために何ができるのか?
あなたにとっての「会社」とは?
自分の中で「会社」の存在を
定義し直すことを勧めたい。
場合によっては
辞める選択肢が出てきていいと思っている。
制限されて浮き彫りになる本音
せっかく立ち止まる機会だから
少しだけ考えてみてほしい。
こんな時期だからこそ
これまで当たり前に
「やっていたこと」
と向き合ってみてほしい。
「会社」を含めて
これまで
「やっていたこと」を
自分自身が
どう捉えているのか?
同じ「やっていたこと」でも
・やりたい! と想いがあったのか
・嫌々やっていたのか
ハッキリ分かれるんじゃないだろうか?
外出自粛規制が出て
制限されたことで
「やっていたこと」ができなくなったときに
・ホッとしたのか
・辛いのか
自分の感情に目をやれば
本音が明らかになるだろう。
冒頭に戻るのだが
例えば
茶道を「制限された」ことで
改めて
自分の気持ちに気付く。
やっぱり茶道好きだ!
ってなるのか
なんでやってたんだろうなぁ。
ってなるのか
本音が明らかになるだろう。
そんな事態が
そこら中で発生しているだろう。
今、このタイミングの世界は
自分の人生と向き合う
とてもいい機会だ、と。
制限される中だからこそ
垣間見える
「本当の自分の本音・欲求」と
向き合ってみたい。
ちなみに
サービス提供者視点で見ると
消費者は遠慮なく切りやすい時期。
だから
一方は滅びていくし
一方は根強く残るかと。
(しばしはいずれも辛抱が必要かもだが、、)
どうせならば
残る方でありたいものです。
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