今日、ピンと来た言葉がこれ。
「ネクスト・ジェネレーション」
実際に、次世代を担う
子どもたちの感性に触れて
可能性と脅威を大いに感じた。
同時に、
ネクスト・ジェネレーションについて
語られない日本の環境について
少し思うものがあったので書く。
クリエイティブな子どもたち
昨日の「みゃんこん」から
一晩が明けて
朝から東京珈琲へ。
ちょっと仕事を片付けて
「KidsLabo Fes 2019」へ。
2日連続の Burbrit。
この日のミッションは
ひたすら動画撮影。
とにかく撮りまくった。
その中で
子どもたちの素直さとか
子どもたちのクリエイティブに触れ
心が洗われた。
同時に
まっすぐな「子どもたちの夢」
を聞いて、自分が怖くなった。
「夢とかない」
なんて言ってる場合じゃない。
そう思わずにはいられなかった。
夢くらい抱けよ、おれ、と。
子どもたちが
あまりにも真っ直ぐに
夢を語る姿を見て、
友達や大人の質問に対して
正直に答えている姿を見て
つべこべ考えてる場合じゃない。
そう思わされた。
彼らはヤンゴンにある
プログラミング教室 Kids Labo に通っていて
プログラミング や レゴ に触れ
クリエイティビティを
どんどん伸ばしている。
作品を見ていたら
「え、こんなんできんの?!」
「この発想、すご!」
って作品ばかり。
しかも、それぞれに
オリジナリティとか
こだわりポイントとかがあり、
しかもそれらを
なんとなくやってるだけでなく
しっかり考えた上で
作り込んでいる。
質疑応答や発表から
その意図がよく見えて、
その事実に
ただただ ビビった。
ネクスト・ジェネレーションは
こうやって育っていくのだ、と
そんな姿を目の当たりにした。
私は今、35歳。
次の世代ってなると
10代前半とかで
子どもたちってのは
その更に次の次くらい
なのかもしれない。
我々が知らないことを
どんどんやっていて、
しかも、小さな頃から
そんな環境を当たり前とし
慣れ親しんで育つわけだ。
ネクスト・ジェネレーションの
大いなる可能性を
肌で感じた時間だった。
「次世代」を語らない日本
夜には、会食に参加。
明日、SDGsセミナー関連で
ESG投資セミナーが開催される。
その講師の方と 主催者陣で
食事しながら熱く議論を交わした。
少し遅れて参加したのだが
冒頭に出てきたのが
「ネクスト・ジェネレーション」
とのワード。
講師の方が、パリで
国連責任投資原則(PRI)の
会合に参加してきた時に
出てきた話題として
真っ先にあがったワード。
この言葉って
日本では、本当に聞かない。
禁じられてますっけ、、、?
ってくらいに聞かない。
次世代を考えた動きって
本当に少なくないですか?
それって経営者が年配で
「おれの世代は関係ない」
「おれは逃げ切れるだろう」
的な精神に、なりがちだから?
それとも、政府がしないから?
政治家が若者を軽視するから?
今回の組閣を受けて
日本 の IT担当大臣と
台湾 の 大臣との比較が
話題になっていた。
年齢といいバックグラウンドといい
もう、なんか
「日本、大丈夫か?」
って感じがするわけである。
政治家の皆様も
票読みが必要なのはわかるけど
「次世代の事、考える気あります?」
と、言いたくなる。
唯一、小泉進次郎さんだけは
なんとか若手として
食い込んでいるが、、
そして、政治家だけでなく
民間企業においても
「次世代のこと、考える気ある?」
って言いたくなる状況。
今の構造を、単純にいえば
既得権益者が
甘い蜜を吸うために居座り続ける構造。
お互いに 裏でも表でも支え合う。
そのせいで、いつまでも
次の人のための 空席がない。
そんな状況が
もうずーっと続いているのが日本。
大学教授とかも
そんな状況だと聞くし。。
大臣なんかも、完全に同じ状況で、
民間企業でも同じようなものだ。
邪魔がなければ、変わる
だから
邪魔者が少ない業界
つまり 比較的若い業界、
例えば IT業界などでは
どんどん 改革が進み
働き方や報酬体系や契約形態など
色んなものが
時代に先駆けて変わっている。
そもそも社長も若い。
邪魔者がいなければ
どんどん改革できるのだ。
つまり
ネクスト・ジェネレーションを
邪魔するやつがいなければ
確実に変わっていくのだ。
もちろん、邪魔者だけじゃない。
素敵な大人も山ほどいる。
私の周りにも
たくさんの素敵な大人がいる。
皆、サポートしようと
あれこれ助けてくれる。
その事はわかっている。
しかし、
やっぱり大きな傾向として
既得権益を守ることに
躍起になっている人達が
一定数いて、その人達が
大きな意味で邪魔になっている。
それが日本の縮図だろう。
老害 とか 言われるやつだ。。
その意味で、年長者の責任として
ネクスト・ジェネレーションの
邪魔をしないことが
実は、めちゃくちゃ大事な気がする。
「よかれ」と思ってやることも
もちろん、たくさんあって
むしろ、ほとんどは
その部類のことだろうけれど
ネクスト・ジェネレーションが
動きやすい体制を整えてあげる。
みたいなことができれば
尚の事、素敵である。
そもそも
次の世代の事を
考える人が少なすぎるし
機会もほとんどない。
だから
もっともっと
ネクスト・ジェネレーション
について語る機会が
日本に増えたらいいのに。
そんな事を思わずには
いられなかった。
2つの両極端な
ネクスト・ジェネレーション に
触れた1日だった。
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