ミャンマーの祝日シリーズ。
1947年 7月 19日
10時37分。
当時の暫定政権のトップを含む
合計9名
・首相と大臣 7名
・副大臣 1名
・警備員 1名
が暗殺されました。
国家にとって重要な人物が
まとめて暗殺されたため
殉職者の日、となっています。
どんな人が暗殺されたのか?
具体的には、下記のような人達。
肩書は、暫定政権のもの。
1,アウンサン将軍(32)
首相
2,タキン・ミャ(49)
副首相 ※公式な役職ではない
3,バ・チョー(54)
情報大臣
4,アブドゥル・ラザック(49)
教育・国家計画大臣
5,バ・ウィン(46)
通商大臣
6,マン・バ・カイン(43)
産業・労働大臣
7,サオ・サン・トゥン(40)
高原地域大臣
8,オーン・マウン(34)
国務長官
9,コ・トゥエ(18)
警備員
参考 Wikipedia
この9名が殺されたとか。
大臣クラスだらけである。
日本で考えたら恐ろしい。
閣僚会議をしていた会議室に
武装した集団が乗り込んできて
銃殺されたそうです。
2019年7月現在
国家顧問を務める
アウンサンスーチーさんの父で
建国の父 として
今も国民から愛されている
アウンサン将軍も殺害されました。
32歳5ヶ月の若さで。
(私より歳下だ。。)
暫定政権首相の
アウンサン将軍が若いので
他も若いのかと思いきや
アウンサン将軍が
飛び向けて若かったようです。
とはいえ、これからの
国を担う 閣僚が まとめて
暗殺されるなんて、、、
といった感じですよね。
7月19日のイベントは?
この暗殺事件の約半年後の
1948年1月4日
ビルマはイギリスから独立。
アウンサン将軍を含む
独立のために紛争して
暫定政権の中心にいたメンバーは
独立の瞬間に立ち会う事が
できなかったのです。
こんな歴史があり
ミャンマーでは
毎年7月19日は
「殉職者の日」として
祝日に指定されています。
毎年、
アウンサン廟 で式典が行われ
10時37分には黙祷が行われます。
この黙祷は印象的です。
町中を走る
タクシーも
バスも
一般車両も
車を停めて
一斉に黙祷と共に
クラクションを鳴らします。
1分間鳴り続けます。
警察の方も
一般市民も
直立不動で黙祷。
不思議な感覚に包まれます。
そもそも誰が暗殺したのか?
気になっている方も多いかと。
その犯人とされているのが
ライバルの政治グループの
ウー・ソオ 氏。
彼が主導して計画を立てて
旧ビルマ総督府の事務局で
銃撃された、とされています。
現に
ウー・ソオ 氏は
すぐに逮捕され
事件から半年経たず
1947年12月30日に
死刑宣告を受けました。
その約半年後、
1948年5月8日
インセイン刑務所にて
絞首刑が執行されました。
しかし
ミャンマー人の多くは
イギリスが
何かしら暗殺に関与している
と、信じているようです。
現に、事件後には
2人のイギリス人が逮捕され
そのうち1人は
武器や弾薬を提供した罪で
有罪判決を受けたのだとか。
ちなみに、銃撃の直後
ウーソオ氏の家の隣にある湖から
武器や弾薬の在庫が発見された、とか。
なんだかハメられてないっすかね?w
そんな安易なこと、しますかね?
なんて引っかかる部分も。。。
それはさておき
7月19日「殉職者の日」は
そんな日なのです。
ちなみに
シュエダゴン・パゴダ隣にある
アウンサン廟で行われる式典の前後
近辺は激混みします。
またあわせて
会場に向かうVIPの移動で
ところどころ道が封鎖されるので
移動には気をつけましょう。
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