3月27日の祝日は
国軍記念日 となっています。
そのままダイレクトに訳せば
「国軍を記念する日」ですが
元々は違う名称だったようです。
国民の間では「抵抗の日」として
知られているのです。
何に対する 抵抗の日 なのか?
ご存知でしょうか?
「国軍記念日」は元来「抵抗の日」?
実は
1945年 3月 27日は
アウンサン将軍と国軍が
ミャンマーを占領していた
日本軍に対して抵抗を開始した日。
それが祝日になっているのです。。
日本人的には、ちょっと衝撃。
※主に参考にしたサイトはこちら。
1942年まで
ミャンマーは、半世紀以上にわたり
イギリスの占領下にありました。
日本軍は
アウンサン将軍 率いる
反英活動を展開するグループを通じ
ビルマの独立を支援しました。
1942年、ビルマは日本軍と共に闘い
イギリス軍を駆逐。
遂にイギリス統治から抜け出します。
ビルマ側は暫定政府も立て
「これで独立できる」
と思ったものの
日本側は、その後も
ビルマを支配下に置き続けます。
「このままでは
真の独立は叶いそうにない。」
そう感じつつ、
日本軍の劣勢を冷静に見ていたビルマ軍は
日本軍の側から離れることを決め、
イギリスを含む 連合軍につき、
日本軍に対して、抵抗を開始します。
1945年3月27日
アウンサン将軍 及び 国軍が
ミャンマー全土で 日本軍への攻撃を開始。
この抵抗の結果、日本軍は破れ、
その後、ビルマ独立に繋がりました。
そこで、3月27日は
「抵抗の日」の祝日として
祝われるようになったのです。
よって市民の間では
「日本軍に抵抗した日」
として知られていました。
いつから「国軍記念日」に?
しかし、現在の名称は
「国軍記念日」となっています。
どこかで、変わったようです。
が、多くの国民は
日本軍への「抵抗を開始した日」
である事実を知っているのです。
では、いつから
「抵抗の日」 が「 国軍記念日」に
変わったのでしょうか?
独立後すぐの頃は、
3月27日は「抵抗の日」として
お祝いされ
「抵抗の日」のパレードが
行われていました。
しかし
1955年3月27日
ネ・ウィン将軍によって
「国軍記念日」へと改名されます。
※引用元はこちら
ビルマ独立に向けた闘いにおいて
歴史上、最も特徴的 かつ 崇高な日であり
陸・海・空軍が力を合わせて
立ち上がった事に敬意を表して
「国軍の記念日」としたのです。
つまり、もともとの始まりは
ファシスト への 抵抗の成功を祝う日 で
「抵抗の日」は最も大切な祝日とされました。
しかし、名称変更に代表されるように
その意味合いも、年月を経て
変わってしまいました。
「国軍記念日」は、
主に 政府が “タマドー” と呼ばれる
国軍の権力を 知らしめる機会となっています。
国軍記念日には、何がある?
記念日の祭典として
首都ネピドーでは大規模な軍事演習や
軍隊の行進パレードも行われるようですが
一般の人々は参加することができません。
※ネピドーにある 国軍記念日の看板
(まぁまぁ酷い、合成っぷり。笑)
ヘリ、ジェット機、戦車、戦艦、色々とすごそう。
ちなみに、ヤンゴン周辺でも
花火やライブ等が開催され盛大に祝われます。
シュエダゴンパゴダ前の公園には
戦車、ジェット機の模型なんかのライトアップが
きらびやかに輝いていました。
ちなみに、国軍記念日は祝日ですが
国軍に対して誇りを持つ人もいる一方、
軍隊から、差別され、虐待されている
少数民族グループの人々など
この祝日を嫌っている人もいるようです。
そりゃそうですよね。。
ってなわけで
ミャンマーの祝日「国軍記念日」の紹介でした。
1945年3月27日
日本軍への抵抗を開始した日
が、ミャンマーでは祝日として
お祝いされているのです。
日本人は知っておいた方がいい歴史ですね。
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