人工知能に関する本の中でも
圧倒的にオススメしたいのがこの1冊。
よって、数回に分けて、内容を紹介したい。
今回は、なんと実に第4回目。
前回書いた記事
「人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊」を強くオススメしたい。 vol.1
「人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊」を強くオススメしたい。 vol.2
「人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊」を強くオススメしたい。 vol.3
「人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊」を強くオススメしたい。 vol.4
の続きです。
「第5章 なぜ人工知能にベーシックインカムが必要なのか?」より。
著者は、汎用人工知能が広がった先の未来では
ベーシックインカムが必要だと考えている。
その理由について、順を追って書かれている。
意思決定の分権化が効率的
現場にいる個々の経済主体が意思決定を行う
分権的なシステムのほうがより効率的であると言えます。
実際、資本主義経済における企業は、近年特に分社化によって
意思決定を分権化する傾向にあります。
計画経済ではその真逆で、意思決定が一極に集権化されているので、
効率悪いことこの上ないということになります。
これは、AIうんぬん、とは別の世界でも気になった。
海外に拠点を構える企業の運営方法のことが
真っ先に頭に浮かんだ。
分権的なシステムの方が圧倒的に効率的だが、
多くの海外にある支社ではそうなっていない。
何をするにも、日本の決裁待ちだ。
いってしまえば、海外のビジネス環境を
把握していない日本の本社側が
あれこれと、口を出す。
結局は、
意思決定が日本に一極集中しているのだ。
海外に責任者がいるにも関わらず。
そのため、現地でスピード感を持って
動きたい駐在員の方が足止めを食らう。
そんな事が頻発しているように思う。
そのスピード感の差でもってして
他国の企業に案件を持っていかれる
なんてこともあるように感じる。
ミャンマーで、うまく事業を展開している企業は
現地への権限委譲がうまかったり、
現地にいる担当者が非常にうまく
本社を動かしているように思う。
言いたいことは、
権限の一極集中は効率が悪い。
ということである。
言葉にできないものも含めて
現場に近い人が多くの情報を持っているから
現場の近くで判断するのが一番いいのである。
それは、今でも将来でも一緒だろう。
BI(ベーシック・インカム)を導入し
既存の諸々の社会保険制度を廃止することができれば、
社会保障に関する行政制度は極度に簡素化されます。
社会保障に費やされる事務手続きや行政コストも大幅に削減されます。
ベーシックインカムの導入に関する議論だ。
全員が一律、給付金を支給される。
そんな仕組みが、ベーシックインカムである。
現時点で、日本国内にある生活保護等の社会保険制度は
うまく利用されてしまっているような部分がある。
家族がお金持ちなのに、、、といったような事例で
芸能人が叩かれた事例もあった。
制度の抜け漏れは、だいたいの場合、生じてしまう。
100%完璧なものはなかなか難しい。
そうした制度の穴を埋めようと実態把握調査したり
なんだかんだとやってることにもコストがかかる。
それだったら一律支給のベーシックインカムなら
コストダウンも可能となる。
その意味でも、いいのでは?という提案である。
ここに関して、私は、深く同意。
「有用性」を追い求める現代人
資本主義に覆われたこの世界に生きる人々は、
有用性にとりつかれ、役に立つことばかりを
重宝しすぎる傾向にあります。
将来に備えて資格のための勉強をすることは
言うまでもなく有用です。ところが、その勉強は
未来の利益のために現在を犠牲にする営みであるとも言えます。
現在という時が未来に「隷従」させられているのです。
有用な営みに覆われた人生は奴隷的だとバタイユは考えました。
この部分は、非常に考えさせられる内容だ。
今は、あらゆる判断の軸に「有用性」が入っている。
例えば、教育や資格取得。将来、役に立つのか?
と、考えないままに前に進む人は少ない。
何をするにしても「それって将来、役立つの?」と
判断が差し挟まってくる。
それを少し角度をつけて
「未来のために、現在を犠牲にする行為」と
バタイユ氏は語ったそうだ。
確かに、言わんとしてることはわかる気がする。
「役に立つから」とやったいたことが
「役に立たない」ことは決して少なくない。
むしろ、ほとんどのケースがそうかも。
とはいえ、応用さえきけば
色んな場面で、役に立つ、とも言える。
その応用力こそが、大切な気もする。
アレンジさえできれば、何でもどこかで
役に立つ、ようにできる気がする。
ただ「有用性 一辺倒」では危険なのは間違いない。
さらに私たち近代人は、人間に対してですら有用性の観点でしか
眺められなくなり、人間はすべからく社会の役に立つべきだ
などという偏狭な考えにとりつかれているように思われます。
教育とか資格の世界だけではない。
対 人間についても「有用性」で眺めているのではないか?
との議論であるが、納得的である。
営業ができる、英語ができる、マネジメント経験がある等々
有用性の観点でもって人を見てしまう。
特に欧米企業等は、能力不足は即クビ となるなど
より角度のついた運営を行っている。
あいつは、面白いから、とか。
あいつは、面白くないから、とか
そんな判断をしがち、なのだ。
「人間はすべて役に立たなければならない」
との前提がどこかに入ってしまっている。
「いるだけで価値がある。」
というと、どうも綺麗事っぽいが
本当は、そこなのだろう、と信じたい。
こう書きつつ、私も
「有用性」に取り憑かれていることに
深く深く気付かされている。。。
機械の発達の果てに多くの人間が仕事を失います。
役立つことが人間の価値の全てであるならば、
ほとんどの人間はいずれ存在価値を失います。
したがって、役に立つと否とにかかわらず
人間には価値があるとみなすような
価値観の転換が必要となってきます。
機械が人間の仕事を奪った先の世界はどうなるのか?
役立つことはすべて機械がやってくれる。
では、人間は役立たなくなるのか?
今の価値観でいえば、役立たなくなる可能性を否定できない。
なぜならば、機械の方が早くて正確に仕事をこなしてくれる。
そうなれば、早く正確に仕事をする人は
機械と比較して、役立たなくなる。
違った価値観がないと、人間は不要になるのだ。
だからこそ、価値観の転換が必要となるのだ。
資本主義は未来のために現在を犠牲にするような
心的傾向をもたらし、あらゆる物事を未来の利権のための
有効な投資と見なす考えをはびこらせたわけです。
上記までに書いてきたことが改めて書かれている。
学術的研究が投資物件のように扱われているのが現状です。
そして、学術的研究すらも投資物件のように扱われている、と
そんな現状を嘆いています。
大学は、研究の場であって、中高の教育とは大きく異なる。
それが、本来あるべき姿なのですが、
どうも最近は中高の延長のようになりつつある。
あくまでも、大学は研究が本業だ。
産官学連携の必要性ももちろんわかるのだが、
あまり産業に偏り過ぎてしまえば
長期的な、大きな意味での研究がなされなくなる。
ノーベル賞を受賞するような研究が
数十年も前から続いているのが
いい例じゃないか、と思う。
学術的研究は、投資とは違うのだ。
現在を楽しむ人が尊敬される将来
賃金によって測られる人間の有用性はさほど
問題ではならなくなります。なぜなら、賃金労働に費やす時間は、
人間の活動時間のほんの一部を占めるに過ぎなくなるからです。
そして、残された余暇時間の多くは未来の利権の獲得のためではなく、
現在の時間を楽しむために費やされるでしょう。
確かに、AIがあらゆる場面で活躍するようになれば
人間の有用性は、さほど問題ではなくなるだろう。
AIは、人間より圧倒的に有用となるからだ。
となれば、人間の価値観は大きくシフトする。
有用なものへの投資はやめるようになる。
有用性を追い求める状態から、現在を楽しむようになる。
それが、この著者なりの、現時点での結論だ。
そして、最後をこう締め括る。
ケインズは未来についてこうも言っています。
われわれはもう一度手段より目的を高く評価し、
効用よりも善を選ぶことになる。われわれは
この時間、この一日の高潔でじょうずな
過ごし方を教示してくれることができる人、
物事のなかに直接のよろこびを見出すことが
できる人、汗して働くことも紡ぐこともしない
野の百合のような人を、尊敬するようになる。
ケインズは、とんでもない経済学者だ。
この時を見通していたかのようなコメントだ。
「じょうずな過ごし方を教示する人」
や
「よろこびを見出すことができる人」
を尊敬するようになるだろう、と。
つまりは
「今を楽しめる人」が尊敬されるようになる、と。
将来のために、と
がむしゃらに突っ走れる人は素晴らしい。
私は、今、そう思っている。
なぜならば、私ができないからだ。苦笑
しかし、将来のため、という、その裏側には
将来の(有用性の)ために
との意味合いが込められている。
「将来の有用性のため」という価値観が
消え去ってしまう未来の世界では、
今の価値観はガラリと変わるだろう。
その時に大切な価値観として
残るのは「今を楽しめる」こと。
私もそんな気はする。
少なくとも、将来がうんぬんとか
今ですら予想できない未来を
予想して将来に向けた投資だなんだ、と
言っていることはないような気がする。
色々と考えさせられた、非常に深い1冊だった。
ぜひとも、読んで、色々と思考を巡らせて欲しい。
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