週に1度くらいは
ただただ思うことを
アウトプットしてみよう。
今回のテーマは
「若者軽視の社会クソくらえ」
これを考えるきっかけは
#検察庁法改正案に抗議します
ムーブメント。
あれを見て なんで
若手に任せるって考えてくれないんだろ?
と、寂しく感じたのだ。
次世代の事を考える社会であってほしい、と。
#検察庁法改正案に抗議します
さて、最近考えていること
「若者」をテーマにちょっとばかり
思うところをつらつら書いてみたい。
きっかけは
#検察庁法改正案に抗議します
Twitterをきっかけにして
テレビを賑わせ
議論が巻き起こってるやつだ。
すごーく冷静に言えば
「時既に遅し」
なのである。
国会議員は国民によって選ばれる。
国民の投票によって
与党、総理大臣、内閣組閣、、、
とかなってるわけだ、構造として。
与党を選んだのは国民で
与党批判を繰り返すだけの
野党を選んだのも国民。
選挙を通して 彼らを選んだ
国民の責任なのだ。
選挙に行ってないなら
行かない意思表示をした
国民の責任だし。
だから、文句はいえない。
でも、本当にそうなのだろうか?
いや、文句は言える。
できることはやった方がいい。
実際に、今回は 国民の声が届いて
野党が踏ん張って
なんとか 先延ばしにはできた。
本当に、これでいいのか?
でも、何かが違う。
やっぱり違うと思う。
冷静に考えてみた。
そしたら、私は悲しくなった。
「若者軽視社会なのでは?」と。
日本の国会議員の平均年齢を
調べてみた。
2019年7月の参院選当選者
平均年齢 54.4歳。
2017年10月の衆院選当選者
平均年齢 54.7歳。
これが現実なのだ。
安倍首相 65歳
麻生大臣 79歳
を筆頭にして
現内閣 平均年齢 61.6歳。
これが現実なのだ。
61歳が考える政策。
61歳が考える日本。
61歳が考える世界。
それが今の日本。
これが現実なのだ。
61歳が決める
55歳が決める
それが日本なのだ。
若者の芽を摘む社会
#検察庁法改正案に抗議します
いくら抗議したところで
現実的には
与党が強行採決できてしまう。
それが現実なのだ。
めちゃくちゃ悲しいけど
これが現実なのだ。
で、この裏にあるのは
一体 何なのか?である。
現政権は 理由の中で
「豊富な経験・知識等を活かせる」
なんて言い方をしていたが
その役職を1人が長くやることは
国の未来を考えた時に
本当に正しい選択なのか?
本当にそう思っているのか?
と、思ってしまった。
若者の芽を摘んでしまうのではないか?
と。
日本では多くの大企業で
会長 − 社長 制度がある。
せっかく社長になっても
目の上のたんこぶ のような
会長が鎮座している。
もちろん 会長次第だが
「最後は会長が、、、」
みたいな話はありがちだ。
だいたい
会長は、直前の 社長 歴任者で
会長に逆らえない、みたいな構図。
これ、まじで辛い。
任せてあげてくれって思う。
こういうことって
色んなところで起きている。
課長に任せず 部長が判断。
課長補佐に任せず 課長が判断。
みたいな。
うまく権限移譲していって
若い人が活躍できる社会
なんてのが実現するといいな、と
そんな事を思う。
もちろん 会社として
失敗したら怖いし
色々リスクがあるのはわかる。
でも、なんか
信じることを一切しないで
「どうせ無理だろう」
って諦めるのは
すごーく勿体ない。
部下のモチベーション的には
最低のやり方 だと思う。
改めて、今回の
#検察庁法改正案に抗議します
を見て感じた違和感は
こうした社会構造への違和感。
定年延長ではなくて
逆に思い切って
40歳の検察庁官を、とか
(絶対にならないだろうけど)
やったらいいのに、などと
思ったりもするわけだ。
もちろん失敗のリスクはあるけど
これまでと同じ事をやっていたら
永久に変わらないわけだ。
これはコーチングや習慣にも
通ずるものがある。
人は 意識的、無意識的 含め
いつも同じパターンを繰り返す。
同じパターンを繰り返す限り
あまり変わらない。
むしろ悪くなっていくだろう。
ちょっと負荷をかけて
いつものパターンを
ちょっとだけ変えてみるからこそ
いつもと違う自分が見えて
行動が少しずつ変わっていく。
だから
「変えてみる」
「変えようとしてみる」
事がやっぱり欠かせない。
そりゃ心配かもだけど
若者にちょっとだけ託してみる。
ちょっと大きな言い方をすれば
「次世代に賭けてみる。」
そんな日本であってほしい。
そのためには
若者が がんばる必要がある。
さらに、今回の事でいえば
選挙に行く必要がある。
何かを変えなければ
今より良くなることは
よほどじゃない限りない。
次世代の事を考えられる社会
そんな世界が
求められてるんじゃないだろうか。
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