「自己受容」という話。
最近、色んなところで
自分の中で引っかかってくるキーワード。
この本にもあります。「嫌われる勇気」
ちょっと気になっていることをシェア。
自己受容 とは?
読んで字のごとく、
自分を受け容れる。
自己肯定 でも 自己否定でもなく
ありのままを受け容れるのです。
これがまたどうして、なかなか。。。
どうしても自分の理想の姿を高く掲げ、
その理想を追い求めてしまう。
そんな自分への期待値が高いからこそ
今の自分を許せない自分がいる。
もっとできるはずだ!
やってないからできないだけ。
(つまり、やればできる。)
そんなことを思っている。
そういう自分に対して
やれば、できるんだったらやれよ。
というのはわかりながら
やってなくて、できていない自分を
そのまま受け容れられていない。
ありのままの自分を受け容れる
これができれば
現時点から確実に前に進んでいける。
キャリア論なんかを解く時に
よく「カーナビの話」がある。
目的地をセットしましょうよ、ってやーつ。
が、今の状況は、いわば
現在地がわかっていないようなものだ。
10時間走ったから、ここにいるはず。
この車の性能的とスピード的には
ここまで来てるはずだ。
で、止まっているのだ。
いや「いるはず」じゃなくて
「今 どこにいんの?」
これが大切なのに。。。
渋滞があって、遅れていたり
事故にぶつかって、予定通りじゃなかったり
車の性能が想定通りじゃなかったり
おっと、燃料補給しなきゃ、となったり
色んな不測事態もありつつ
「今、ここにいる」
これがわかってスタートだ。
自己受容はスタート地点なのだ。
頭ではわかっている(つもり。)
なのに、今は
「行き場を見失ったカーナビ」以前の問題。
今、どこ? である。苦笑
もっといえば、道のないところにいる。
そんなことになってるかもしれない。
たまにありますよね、海の中にいるみたいな。。
これでは、
あるべき論をいかに掲げても進んでいけない。
北にいけばいいのか
南にいけばいいのか
それすら間違う可能性がある。
だって、今いるところが定まっていないんだから。
よって、取るべき手段は2つ。
・今、自分がいるところを受け容れる。
・変に理想を掲げない。
これがうまくできていけば、
「今を生きる」につながるかと。
まずは、
自分を受け容れる。
ここからっすな。