どうも、KGYです。本日は、刺激の多い1日でした。
自分の知らない世界だらけ、と改めて認識。
やっぱり人から情報をいただき、あれこれ話すのは楽しい。
無知の知 を知ることって、自分の成長につながります。
ミャンマーの教育について
本日は、そんな事を考えさせられました。
日々、ミャンマーの人々を見ていて
接していて感じる事があります。
なぜだろう?
どうしてだろう?
と、感じる事が多いです。
今日は、そうなる理由が少しだけ
わかったような気がしました。
体系的にミャンマーの教育について
少し教えてもらったおかげで。
まだまだミャンマーは
「教育面の課題」が多いです。
小学校はみんなが通います。
中学校も比較的多くが通います。
高校生にもそれなりになれます。
しかし、課題はここから。
一言でいえば、
高校を卒業するのが難しい。
これです。
本当にこれに尽きるようです。
そして高校を卒業してからも
選択肢があるようでない。
これも実態のようです。
生徒自らが選ぶ
という状況とはほど遠い。
これが真実の姿のようです。
小学校・中学校・高校 と
ひとつずつ階段を昇ってきて
高校でガチャンとやられるそうな。。
この原因は、
公務員(=教員)のモラルの問題
高校卒業試験に伴う問題
が大きく影響しているようです。
モラル問題の要因は、
給料。
試験問題はあるポイントがあります。
もう少し詳しく調べて精緻化してから
まとめて書きたいと思いますが、
問題は根深い
というのが今の感覚です。
ミャンマーの教育現場
日本ではどうなのか?
日本では、センター試験があり
それを前にして断念する人もいます。
これはミャンマーとも近い気がします。
先生の問題についても
意欲はそんなに低くない気がします。
むしろ、かなり意欲の高い先生が
多かったような気がします。
それは、自分がいた学校が
恵まれていた、だけなのかもしれません。
少なくとも自分がいた学校は
進学校であった事もあり、
担任の先生も、教科担当の先生も
手を抜いているようにはとても見えず
勉強はもちろん、進路の相談等にも
積極的に関わってくれたイメージです。
それもこれも
さかのぼってみれば
田中角栄内閣のおかげかもしれません。
教員は金銭的に決して魅力のある仕事とは言えず、
先生に「でも」なろうか、先生に「しか」なれなかった
ということから、「デモシカ先生」などと自虐的に呼ばれたりした。
田中角栄内閣が1974年に教員人材確保法を制定してから
教員の給与が基本給で12%、諸手当を含めれば一気に約25%引き上げられた。
その結果、優秀な人材がこぞって教育界に参入するようになった。
それ以来、教員は行政職より給与面で優遇され、おまけに
夏休み冬休みがあり、「先生っていいわねえ」と世間からねたまれる存在になった。
との表現がある。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/h-minami/essay-kyuuryou.htm
私も父親から幾度となくそんな話を聞いた記憶がある。
教育にお金をつぎ込んだ田中角栄内閣の一手がなければ
今の日本はどうなっていたか、わからない。
優秀な人が、私利私欲に走るのか、公利のために動くのか
これは非常に大きな分岐点だと思う。
田中角栄内閣が舵を切った事により
公利のために働く優秀な方が増えた。
そのおかげで、日本の教育は充実したように思う。
そう考えると、
ミャンマーも 教育者の質 という部分には
もっと多くを投じてもいいような感覚を受けた。
まだまだ国としてはこれからだが
ここからは一気に加速する事は間違いない。
よって、あと5年後なのか10年後なのか
おそらくそんなには掛からないだろう。
その時に社会に出て通用する人間を育てるためには
公的制度を変えるには時間が掛かりすぎる。
「私塾」のようなカタチで
廉価で素晴らしい教育を提供できるような
そんな環境が提供できないだろうか。
なーんてことを考えてしまいます。