「制約」と聞いてどんなイメージを頂きますか?
嫌なイメージ? ワクワク?
「制約」はあらゆる場面で存在します。
てか制約だらけでしょう、きっと。
だからといって
文句ばっかり言っててもしゃーない。
「制約」があるからこそ生まれる工夫。
そこを考えてみませんか?
制約だらけの場「プレゼン」
教える側になることで理解度が深まる。
そんな話、聞いたことありませんか?
教える立場になることで
はじめて理解する、と。
教わる側だと意識しないことも
教える側になると意識したりして
理解度が深まります。
そんな経験ありませんか?
ちょうど先週の日曜日
教える側を経験しました。
一定の時間内に
ポイントを絞って伝える。
いわば、プレゼンの場のような
そんな場を経験しました。
時間的な制約がありました。
そして偶然、同日の午後
プレゼンを見る機会もありました。
で、感じたのです。
「制約があるから工夫が生まれる」
と。
そして
制約だらけの場である「プレゼン」って
すげーいい訓練になるな、と。
プレゼンをする立場に立つと
「伝えるのはこれ。」
と、内容を絞ります。
時間は無制限じゃないわけで
限られているから
シビアに絞り込みます。
時間という制約があります。
よって
ここは削ろう、とか。
ここは丁寧にやらないと、とか。
理解してもらうためにも
色々と工夫をします。
制約一切なし
と、言われるよりも
圧倒的に工夫が生まれます。
制約があるからこそ工夫が生まれるのです。
プレゼンの特訓って、いいなー、と
なんだかそんな事を思いました。
制約はそこら中に溢れている
制約は、本当 そこら中にあります。
目に見える制約から
あまり意識してないものまで
制約は山ほどあります。
例えば、
・時間的な制約
・物理的な制約
・システム的な制約
色んな制約が考えられます。
時間が限られていれば
短縮するための工夫が必要です。
その場所にいられなければ、
現地の人に頼る、とか
別の工夫をするでしょう。
写真が掲載できない、となれば
文章で表現する、とか
そんな工夫をするでしょう。
制約があるから、工夫が生まれるのです。
あまり人が意識してないものを
あえて制約と表現するならば
1日は24時間。
この全員に平等な時間。
この24時間という制約があるから
人は工夫して生きるのです。
ある人は睡眠時間を削り
ある人は移動時間を削る。
そして自分の時間を生み出します。
鮒谷さんのお言葉を借りれば
「時間でお金を買う」発想で
対応している人も少なくありません。
そして「時間がない」とは嘆きません。
早朝だったり、深夜に動いています。
制約があるからこそ
生まれる工夫があるのです。
制約はどこにでもあります。
上司が嫌なやつ。
これも制約の1つ。
権限が少ない。
これも制約の1つ。
後輩が使えない。
これも制約の1つ。
環境が整ってない。
これも制約の1つ。
制約を言い訳にするのでなく
制約を乗り越えるための工夫をする。
そう捉えてみれば
困難が楽しくなるかと。
制約があるからこそ生まれる工夫。
ここを楽しもうではありませんか。
ルールがないから。
と嘆くなら、ルールをつくればいい。
上司が嫌いなら
なるべく関わらないで済む方法を考えればいい。
工夫はいかようにでもできるのです。
その自由は、
実はあなたの手の中に
既にあるのです。
自由に考えてみる。
これってなかなかできないけれど
本当は超自由なのです。
選択肢は無限大なのです。
そこに付随する
あれこれを考えるから
選択肢がない
と考えがちになるけれど
実は
選択肢は無限。
そう思えば
制約も楽しめるのです。
さ、今日も人生を楽しもう!