日本政府も後援するイベントが2本
この週末に開催されていた。
・ディスカッションイベント
・ビジネスコンペティション
その2本が行われていた
ディスカッションの中で
課題に挙がったのが「教育」。
そのテーマで頭をぐるぐるめぐらせてみた。
イベント2つに参加し、頭ぐるぐる
土日に掛けて、日本政府も後援している
ミャンマーの方向けのイベントがあった。
1つはジャパンアカデミア
もう1つがビジネスコンテスト
両方に参加してきて感じたこと。
ジャパンアカデミアは途中参加。
どうやら現在のミャンマーの
社会課題の抽出や
課題解決の方策を
ディスカッションすることが
目的の1つにあるようだ。
ディスカッションの機会は
なかなかないだろう。
様々なバックグラウンドの人と
考えて、話し合って
意見交換できるいい機会だったかと。
ミャンマーの人にとって
貴重な機会だったように思う。
もっと人がいれば、、、とは思ったが。
ビジコンは
どのプランも全体にターゲットが広く
「全員がお客さんです。」
と言い切っているプランもあった。
随分と派手に対象層を広げていた印象。
一部のプランでは
顧客群の10%に絞ります、と
口にしていたものもあったが、
具体性はなく、ざっくりだった。笑
両方のイベントに参加して
頭をぐるぐるかき混ぜてみたので
その辺りを
ガーッっと書き殴ってみます。
課題がいっぱいの「教育」
多くの方が挙げていた課題が
「教育」
気持ちはよくわかる。
というか、わからない人はいないかと。
おそらくどこの国に行っても
「教育に課題がある」
と、多くの人が口にするであろう。
日本でもそうだろう。
タイでもそうじゃないかな。
シンガポールでもそうだろう。
アメリカでも同じだろうな。
日本に限っていえば
この数年だけを追ってみても
詰め込み教育はよくない。
からの
ゆとり教育はよくない。
からの
アクティブラーニング。
といった具合である。
それぞれの時代にあった
課題解決策を検討した結果の動きだ。
「教育」には
どんな段階の国でも課題がある。
その国ならでは、の課題がある。
そんな中で、その時なりの
課題を抽出し
国やその人の方向と照らし合わせて
見識ある専門家が決めたのが
その時の教育方針。
ただそれだけである。
だから
別に文句を言うつもりもない。
間違っていないだろう。
その人たちの視点から見れば。
むしろ
その時に描いていた
ビジョンは完璧に近いのだろう。
しかし世の中は動き続けるし
環境も、人の思考も変化し続ける。
昔は言うことを聞く人を育てたかったが
今は自分の意見を言う人を育てたい。
となれば、全然 育て方が違ってくるだろう。
そしてもっといえば
同じ時代に生きている人であっても
各人の思考は同じではない。
誰一人として同じ考えの人はいない。
だからこそ
おそらく未来永劫
解決することのない課題。
それが「教育」に関する課題かと。
課題がある = ニーズがある
かといって
教育について考えるのを
放棄するつもりはない。
経営者の多くが行き着くのが
「教育」
お会いした方に
興味がある分野は?と聞いたら
多くの方が口にするワードが
「教育」
教育には、
いつ、どんな時代でも
誰においても
それぞれの課題がある。
つまりニーズがあるのだ。
尽きないニーズが。
そういうものだと思う。
ミャンマーの社会課題の抽出において
「教育」という言葉が登場した時
「そうそう、そうなんだよ!」
と、言う人は少なくないだろう。
言うのはたやすい。
というか間違いなく真実も含まれる。
ミャンマーの教育の
本当の実態は知らないが
話を聞く限りでは
暗記詰め込み型教育らしいし
世界的な基準と年数が合わないし
途中脱落が多い仕組みらしい。
英語ができなかったらアウト。
そんな構造にもなっているらしい。
で、高校や大学の影響が大き過ぎる。
てか親の影響が大きいらしい。
お金がある人はいい教育を受けられ
そうでない人は教育を放棄せざるを得ず
這い上がる仕組みも、なかなかない。
それが実態の一部であることは
間違いないだろう。
そう捉えている人がいるのだから。
※程度の差こそあれ、日本でも
他の先進国でも途上国でも
だいたい同じ構造だろうけれど。
教育に課題があるのだ。
だからといって
「教育」のせいにするなんてズルい。
とディスりたいわけではない。
ほっとけばいい
と言いたいわけでもない。
むしろ
だからこそ、やりがいがあるし
面白いのではないか、と想っている。
根強いニーズがあるし
カタチを変えながらずっと
「教育」が課題として残っている。
色んな人が、色んな理由で困っている。
ターゲットを絞ってあげれば
「教育」課題を解決する方法は
たくさんあるだろう。
それは、きっと
各階層で別々のアプローチがあり
一様な解決方法ではないだろう。
教育に対する課題は
イタチごっこのように
終わりのない戦いだし
もっといえば
教育の効果は一生わからない。
ゴッホのように
死んだ後ではじめて
評価される人もいる。
教育効果の測り方のパターンは
計り知れないほど切り口が多い。
だからこそ面白い。
絞ればええやん。
で、ふと
ビジコンを見てて感じた
「課題」と重なった。
教育、教育って
一括りにいうけれど
どこの
誰の
何のための
教育なのか。
そこを絞ってあげるだけで
スッと視界が
広がるような気がする。
ヤンゴンに居る
ハイパーお金持ちを
国のリーダーにする教育なのか。
地方に住んでおり
お金がなくて教育を受けられない人に
最低限の教育を施すのか。
(例えばこんな 素晴らしいプロジェクトのように!)
「映像で灯す未来、ミャンマーの秘境へ『最高の授業』を届けたい!」
https://readyfor.jp/projects/eedu_myanmar_project
よろしければ、支援をお願いします。
地方都市に住む
中間層を
中間層のまま維持させるための教育なのか。
スラム街に住む
貧困層だけど優秀な子を
引っ張り上げて上の層に引き上げる教育なのか。
全然アプローチは違う。
そう考えれば
もっともっと具体化できる。
ビジコンを見てて
対象がぼやっとしてるなー、と
思ったりしたので
ふと
教育 と ビジコンを
並行して考えてたら
なぜだか
こんなブログに行き着きました。笑
お付き合い頂きありがとうございます。
教育、やっぱ興味あるなー。